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アドラー東北・高橋の日々徒然ブログ

アドラー心理学で生きる日々・思うことツラツラと。

2022・5・24
マインドフルネス瞑想体験会

アドラー本・永遠のベストセラー

日曜日に思い立って「マインドフルネス瞑想体験会」を開催しました。直前の告知でしたが、6名のご参加でたっぷりと時間をかけて「今ここ」体験をしていただきました。

あまりにも気持ちよすぎて皆さん寝入り寸前だったみたいです。

「嫌われる勇気」をお読みになった方は、アドラー心理学で生きるということは、刹那の連続であり、今ここに生きるということに他ならないとご存じでしょう。

「今ここ」という状態がマインドフルネスです。その状態を体験していただきました。

5月という季節は、新年度が始まって、皆さんが心も体も悲鳴を上げる時期です。心を病む人が多くなるのもこの時期です。

少しでも自分を労わる時間を持っていただければと、そう思っての開催でしたが、かなり好評だったので、今度はまた体調を崩す人の多い秋口に開催しようと思っています。

難しくないし、コツさえつかめば誰でもできますし、どこでもできるので、ぜひ体験して身に着けてみてください。今ここで生きられるようになると、悩み続けたり、自分の感情に振り回されたり、辛い思いを引きずったりすることはほとんどなくなると思います。

告知はメルマガでするので、まだメルマガを読んでいない方はぜひ登録してくださいね。

2022・5・18
人間関係を良好にするコツ・4

自己決定すること

人間関係を良好にするコツの4回目です。

あなたが嫌だなと感じたこと、感じた人、さて悪意を感じましたか?それとも悪意はないんだが言い方がとか態度がとか、そう感じているでしょうか?

おおむね人間関係を良好にするのは後者ですよね。相手に悪気や悪意がないという解釈の方が他者に対してもやさしい解釈だと思います。

でもやっぱり言い方がなあ・・・と思われるなら、その点だけをアサーティブに伝えてみてはいかがでしょうか。

「君の言いたいことはわかったよ。でも少々言い方が不愉快に感じるんだよね。」

もしも自分の言い方が不愉快だと気が付いていない人であればそこで気が付いてくれるかもしれません。

「じゃあ、どういえばいい?」と聞かれる可能性もあります。そんな時は提案の言い方、意見の言い方について伝えてもいいと思います。

いずれにしても「悪意がない」「悪気がない」と思えるのであれば、相手に対する全否定はありませんので、何とかなりそうな感じだと思います。

相手という人間を「悪」と取るのか、相手の言い方だけに注目して「悪気はない」と取るのか、それも自己決定です。

2022・5・17
人間関係を良好にするコツ・3

行動の目的は善である

人間関係を良好にするコツの第三回目は「相手の目的を見る」です。

私たちは相手が何を言ったか、どう行動したかにばかり目が行きますが、言ったことやしたことには必ず目的があり、その目的は善であるとアドラー心理学では考えます。

たとえば、素直な長男に対して反抗的な次男。「どうしてこの子はこんなに反抗ばかりするのかしら?」と考えてしまいがちですが、目的を考えると「反抗する」という方法を使ってなんらかの目的を達しようとしていると、そう捉えます。

目的は「親に自分の方を向いてもらいたい」かもしれませんし、「わかってもらいたい」という目的で反抗しているのかもしれません。長男と同じ方法「素直さ」では自分の方を向いてもらえないと感じて別の方法で目的を達成しようとしている可能性があります。

「自分の方を向いてもらいたい」「わかってもらいたい」という考えは悪い考えではありません。むしろ人間として自然な願いであり、善であるとアドラー心理学では考えます。

最終ゴール・、目的が何にしろ私たちは皆違う方法をとるのです。方法が役に立つ方法を使っているか役に立たない方法を使っているか、好ましいか好ましくないかの違いだけです。

目的は善「方法が違うだけ」

2022・5・16
人間関係を良好にするコツ・2

相手のどこを見ますか?・・

人間関係を良好にするコツの2回目は「相手の良きところを見る。」ということについてお伝えしていきます。

身近な人間関係ほど「相手の良くないところへ目が行く」のではないでしょうか?

特に血縁関係にあると、そういう傾向になるようです。

相手の良くないところが見えてしまうのは仕方がないのですが、それをつつくということが近しいほど起きてきます。

親が子に、またある程度大人になられたお子さんなら親に対してという逆のパターンもあるでしょう。兄弟同士もそうです。

相手の嫌なところばかり見えてつつきたくなります。もっと身近なところだと夫婦ですね。目が行くのは「真っ白なシャツに一点の黒いしみがあるから」と考えてください。ですが、その小さなしみ以外は白いのです。

ほんの一部を見てそれが全体だと考えると付き合える人がいなくなっていきます。相手のどこを見て付き合っていくのか。誰だって短所をつつかれるより、できていないところをつつかれるより、良いところを認めてもらったり、労り・ねぎらい・思いやりの言葉をかけてもらった方が嬉しいのです。

2022・5・14
人間関係を良好にするコツ・1

なんでよ?!って思ったら・・

人間関係を良好にするにはいくつかのコツがあるのですが、今回は1回目として「行為と行為者を分ける」ということについて書いて行きます。

私たちは失敗をします。また間違いもします。失敗しない人、間違いを起こさない人はいないと思います。

でも他者の失敗や間違いを許せないと感じて相手を嫌ったり相手に怒ってしまったりすることはあるのです。嫌われたり怒られたりすると相手は自分という人間を否定されたと解釈します。

これは行為者と行為を一緒にしてしまうので、双方にとって好ましい結果はもたらしません。怒った方は相手を嫌いますし、言われたほうは自分が否定されたととても嫌な気持ちになります。

行為と行為者を分けるにはこのように考えてみましょう。

「相手の行為は好きではないし、好ましくないけれど、相手の人としての価値には何も変わりはない。方法が悪いだけだ。」

宿題が終わらなくてつい答えを見てしまった子ども。「だからあなたはダメなのよ。」と言ってしまえば、人格否定になりますが、「答えを見たのは良いことじゃないよね。あなたのことは好きだけど、その方法は好きじゃないな。」

何度言っても帰宅時間が遅くなるご主人、飲酒量も気になります。そんな時に、「あなたっていつもそうなのよね。そういう人なのよ。」と言ってしまえば人格否定。

「電話一本してくれれば助かるのに、あなたのこの対応は好きじゃないわ。あなたのことが心配だからちょっと方法を考えてもらえないかしら?」

さていかがでしょう。行為と行為者を分ける方法、ご参考になれば幸いです。

アドラーの子育て法・対人関係法はアドラー心理学の基本講座で学べます。ご案内は下記からどうぞ。

2022・5・12
講座&フォローが必要な理由

知識だけでは車の運転はできない

先日講座を受講してくださった方が「本で読むのと実際に講座を受けるのは大違い。」とおっしゃいました。

私はよく車の運転でたとえますが、車のことや運転の方法を本で読んで知っているとします。でも運転はできません。実際に運転するには練習が必要です。

そして本で読んだ運転の方法を自己流の解釈をしている可能性もあります。

基本を講座できっちり学んだうえで何度か練習が必要なのです。そうして初めて快適に運用できるようになります。

一番人気なのはアドラーコンパクトです。マンツーマンで今の一人一人の悩みの状態に合わせて学べますし、受講間隔の設定も自由です。しかもお財布に優しい。「この受講料はほんと助かります。」って言われることも多い講座です。

残念ながら土日は空き時間があってもすぐに埋まってしまいます。平日でしたら割とご希望に添えるのですが、皆さんお仕事されているので時間のやり繰りは大変です。

でも受けてよかったと一番思っていただけている講座です。

気になる方は以下のリンクで詳細をご覧くださいね。

アドラーコンパクト

2022・5・10
人間関係で必要なのは「共感力」

要求よりまず「相手を理解しようとする気持ち」が大事

GWは講座や相談をびっしり入れてしまって昨日はさすがにヘロヘロでしたが、ちょうど主人も休みだったのであっちこっちへ出かけて気分転換してきました。

先日「人間関係で一番つらいこと」というページをアップしましたが、とにかく相手に対して「理解しよう」という気持ちのない人が多すぎると感じています。

「理解できない」かもしれないが「理解しようとすること」はできる。

「理解しようとしてくれている。」それが伝われば相手はこころを開く。にもかかわらずまず「要求」や自分の「主張」をまず先とばかりにする人のなんと多いことか。それでは人間関係は決してうまくいきません。

日曜日のサポート会で「共感」ってどういうことなんだろうね、というテーマで皆で話し合いました。

10人いれば10人の解釈があるだろうと思います。アドラー先生は「相手の目で見て、相手の耳で聴き、相手の心で感じること。」とおっしゃっていますが、言うは易し行うは難しです。

私自身は自分が共感を持てているかどうかは相手の反応で判断します。相手が初対面にもかかわらず率直に心を開いて自己開示してくれた時、どうやら持てていたようだとそう思います。

そうねえ、今は9割がたできるようになったかな。共感力だって自分で意識して育てていかないと育たないのです。l

2022・4・27
劣等感「自分は劣っているという感覚」の使い方

劣等感の使い方は
役に立つのか立たないのかで決まる

アドラー心理学の大きなテーマの一つに「劣等感の使い方」があります。アドラーの最初の著書も「器官劣等」についての著述でした。

劣等感には二種類あります。他者と自分を比較することで生まれる「対他劣等感」。そして理想の自分と現実の自分を比較することで生まれる「対自劣等感」です。

対他劣等感は持ってもあまり意味がありません。なぜならもし比較した相手を自分が超えることができたとしても、上には上がいるのが現実だからです。対他劣等感に悩んでいたとしても大概の人はそのことにいずれ気が付きます。

アドラー心理学で取り上げるのは「対自劣等感」です。理想の自分と現実の自分とのギャップが劣等感を生み出します。

その時にどうすればいいのか、答えは二つ。自分を高めることに使うのか、自分をあきらめることに使うのかの二択です。どちらを選択するかは自分が決めていますし、自分で決められるとアドラー心理学では考えるのです。

理想と現実があまりにも乖離している場合にはとても本人は苦しいと思います。たとえば「完全でありたい」とか「完全でなければならない」というような理想を持っている場合、完全でない自分に劣等感を感じてしまいます。

完全でありたい、はあってもいいのですが「完全な自分」はありません。そのことに気が付いていただいて理想を少し下げることも必要になります。いずれにしても劣等感を自分のエネルギーに変えて高めることに使うには「勇気」が必要です。逃げるのはいつでもできますし簡単なことですが、やり続けるといつまでも自分に自信が持てないということになります。

現実可能なことから劣等感を自分のばねにして日々向上していく。それがアドラー心理学で生きるということになるでしょう。

2022・4・22
性格はいかにしてつくられるのか

1人1人全く違う性格
それはどこから来るのか?

アドラー心理学ではいわゆる性格をライフスタイルと呼びます。ライフスタイルはどのように形成されるのかというと、10歳ぐらいまでの自分を取り巻く人々の行動、起こった出来事をどう意味づけしたかによって本人が選択・決定します。

もちろんその選択と決定は意識レベルの低い段階でなされていますので、本人はほとんど自覚がありません。

したがってその選択・決定がどうも他者関係で不具合を起こしてしまうという場合が現在の人間関係がうまくいかないというケースです。実際には、選択のし直し決定を変えればいいということになります。

それにはアドラー派のセラピストによって「ライフスタイルの解明」が必要になります。どこをどう変えればいいのか、今の自分はどういうわけで意識しないまま不具合のパターンを繰り返しているのかがわかって初めて変えられることになります。

これはライフスタイル診断・早期回想分析という方法でクリアになります。ほとんどの方はアドラーの子育て法・対人関係法を実践することで解決できると私は感じており、ライフスタイル診断・早期回想分析までは必要がない人がほとんどです。

ライフスタイル形成の一つの要因となるのが下記の図です。子どものころ自分を取り巻く大人たちはどのように行動していたのか。例えば相手に言うことを聞かせたいのであれば怒鳴るとか、泣くとか、いろいろな方法を使ったであろう大人のことを子どもは目の当たりにします。

その中から自分にとって都合のいい方法を採択したのが今の自分です。

性格形成は自分を取り巻く大人たちがどう動いていたかが鍵

2022・4・20
謙虚と謙遜

謙虚は必要・謙遜は不必要

最近講座中によく話が出て盛り上がるのは「謙虚と謙遜」について。

日本人って褒められると「いやいや、そんなに自分は大した人間ではありませんよ。」みたいな謙遜が出る。

ある受講生が、私に「謙虚であることは必要だけど、謙遜は必要ないよ。」とピシャっと言われたことを忘れられないという。

謙遜する限り「自分にOK」は出せませんよね。自分がちゃんと努力してそれを誰かに「すごいね」って「頑張ったね」って言われたら「ありがとう」という言葉が出てくるはず。「ありがとう。はい、私は頑張りました。」の意味ですけど、あなたは出てきますか?

謙虚であることと謙遜することは全くの別物。謙遜は別に要らないと思う。努力しているならそれをちゃんと認めること。誰にはばかることなく「自分は頑張りました。」「頑張ってます。」って。

結果ではない。努力した、取り組んだという経過が大事。これができると結果が出なくても落ち込むことはない。なぜなら努力したということ、自分なりに取り組んだことを一番わかっているのは自分だから。

「自分を認めてあげられるのは自分しかいない」

他の誰が認めてくれなくても自分で自分が認められればいい。これができる人は本当に強い。これを講座にしたのがセルフコンパッション。ありがたいことに結構お申込みをいただいてこれからの人気講座になりそうです。「自分にOK」出せる人が増えていけばいい。自己受容していると何があっても揺らぎません。がっちり大地に根を張って生きられます。興味のある方は下記のリンクから見てみてくださいね。

2022・4・18
日本のタブーに切り込む

世代間連鎖を断ち切る

今いろいろな人間関係で悩んでいる方の根っこにあるのは自分と親との関係から派生しているんです。

親の使っていた方法を子どもの自分が採用して対人関係に使うことで不具合が起きている。

表面的にはアドラー心理学の対応法でだいぶ改善されるんだけれども、もっと深いところに根っこがあるので、親子関係がかつてどうであったかということを見て言って、どこがどうかを見極めてから修正して行かないと本人の生き難さはなくならないんですよね。

たとえわかったとしてもそれを別なものに変えるかどうかは本人次第なわけですが、親子関係で難しいのは「親を否定してはならない」という日本人特有のタブー。

否定するわけではないのですし、親が使っていた方法を使うことがあなたを生き難くしているのだからそれを別な方法に変えたらどうでしょうって話なんだけれども、そこは認知の問題で、かなりの抵抗を感じる人がおられる。親を否定する=自分を否定するって考えちゃうみたいです。

ところがうちの受講生のほとんどは、やはり親との関係で悩んでいます。話を聞いてみれば明らかに親の方に門題があったりもする。そして「親を嫌う自分はどこかおかしいんじゃないか」と考えたりして自分を責めたりもする。これはとても本人にとっては辛いことです。

親のことは親のこととして「自分はどう生きるか」の再構築ーこれがアドラー心理学でやれることです。

人は変えられませんが自分のことは変えられますから。

2022・4・15
「人は変わるものだ」が大前提

昔と同じ・あの人のことはわかっているという思い込み

人間関係の悩みトップ5をサイトに掲載していて、男女ともに「友人関係」がリストアップされました。

年代を経るにしたがって、皆環境が変わりますし、また体験から大きく人間そのものが変わっていて別人になっているということもあります。

昔と同じ感覚でいると、相手が付き合いにくく感じたりするのです。

相手も自分も変化しているはずですが、「あの人は~だから」という決めつけ。これされると嫌なんだよねえ。

私はあなたの知っている以前の私ではありません、と言いたくなったりします。自分が変わらないからといって相手も変わらない、変わっていないはずだというのは少々説得力に欠けます。

友人関係が歳をとるにしたがって疎遠になって言ったり、苦痛になっていくのは、環境・生活・価値観のほかにその人そのものの変化(考え方など)もあるのではないでしょうか。

相手のことを知っているという思い込み、身近な人間ほど陥りがち。気をつけたいものですね。

2022・4・12
他者関係に必要な配慮の表現

意見言葉や仮定の言葉を使う

他者関係であまり使わない方がいい表現には「断定・決めつけ」があります。

「相手の気持ちは、相手の考えは相手に聞いてみなければわからない」が大前提です。

また自分が正しいという傾向が強い場合「~に違いない」などの「~なんでしょ!」と言った言い方もしてしまいます。

特に怒りの感情に任せて言ってしまいがちですが、こういう言い方をすると相手の感情を逆なでするだけでなく、相手は返事のしようがなくなったりします。

アドラー心理学を実践していくとまず意見言葉が使えるようになります。「わたしは~だと思うのだけれど。」とか「~だと私は思うんだけれど。」と言った表現です。

また他者への共感ができるようになれば相手の気持ちや意見の確認に「もしかしたら~かな?」という言い方ができるようになっていきます。

こういう言い方をできるようになれば、相手との関係が悪くなることはそうそうないのです。

2022・4・6 
男女のすれ違いは何から起きるか

どうして起きる?男女のすれ違い

ご夫婦やら恋愛中のカップルやら、いつもうまくいくことばかりではありません。ご相談は多いのですが、その基本的な男女の違いを理解しているかどうかがカギになります。さてその原因とは?について書いてみます。

大概意見の食い違いとか価値観の違いとか、何かが起きた時にすれ違いが大きくなっていきます。

この辺はアサーティブ・相手もOK自分もOKの伝え方で相手と関わることでほとんどが解消されますが、根っこの部分で男女の違いについて理解しているといいように思います。

何か問題が起きた時、男性はほとんど「解決へ向かって進もう」とします。けれど、女性は「その問題についての自分の気持ちが解って欲しいという「共感へ向かって進んでほしい」と思うのです。

男性は解決に向かい、女性は共感を求める。

この違いがわかっていると男性は「彼女は解決してほしいのではなくわかって欲しいんだ。」と思えばいいし、女性は「彼は自分の気持ちどうこうよりもどうしたら解決できるかを考えているんだ。」と理解できます。

あとはアサーティブでお互いの歩み寄りを計るだけです。仕事をする女性がほとんどになってきている現代では、男女が逆になるケースも見受けられます。

実際には基本的な部分ではこの違いを押さえておけばそれほどすれ違いは広がりません。

妻が「今日は~があってね。大変だったの。」と言ったとき、あなたが「それは~すればいいでしょ。」みたいな返事をしていたとしたら、それは妻にとっては不満足な答えになってしまうでしょう。

「そう、そんなことがあったの。それは大変だったね。」と返すご主人、恋人であればきっと「わかってもらえた」と満足を得られることでしょう。

お互いの違いを理解しようとすること「共感力」を持てるかどうかにかかっていると言えると思います。これは自覚的努力が必要ですが、「理解したい」という気持ちさえあれば育むことは誰でもいつからでも持つことができると思います。

2022・4・5
三回続けると人格否定になる要注意な言葉

つい・・・繰り返してしまう
要注意な言葉

日常生活でつい使ってしまう危ない言葉

「なんで?」「どうして?」

これは「なんで~するの?(しないの?)」「どうして~するの?(しないの?)」という批判の響きが含まれます。

これが三回続けて使うと相手には「人格否定」と取られてしまいます。

ほとんどの方がこの表現は使ってしまっていると思います。

相手に対する期待がすでに自分の中にあるからで、その通りにならない時にこの言葉が出てきます。

「自分の考えだと当然~だと思うけど、あなたはそうではない。それは許せない。」という意味です。

「人は一人一人違うのである」「相手は自分とは別の人間であるから違うことが前提」ということが理解できていればこういう表現は出てきません。アドラー心理学の認知論ですね。

言れたほうは「そう言れても・・・。」と言葉に詰まってしまいます。返事がないのでさらに「なんで?」「どうして?」が続いてしまうようです。

挙句に「~だからでしょ!!」と決めつけの言葉になってしまいがち。これでは相手との関係は良くなりません。

自分と相手は違う人間であることが前提にあれば「ちょっと自分の考えと違うんだけど、どうしてそうしたのか教えてくれないかな?」と言ったような言葉が出てきます。

「なんで?」「どうして?」という表現は三回続けたら人格否定になるー覚えておきたいものです。

認知「出来事はどう解釈されるか」

私的論理が事実より強い

人間関係で一番大きな影響が出るのが「出来事の解釈・捉え方」です。これは「認知」と呼ばれます。

今度メルマガで詳細について書こうと思っていますが、ライフスタイルでできている「私的論理」は「事実」より強い。

たとえば「人は信頼できない」と思っている人は、成育歴の中のどこかでその「私的論理」採用しています。

そうすると「信頼できる人・出来事」があってもそれは例外としてとらえ「信頼できない人・出来事」ばかりに注目して事実には蓋してみなかったことにしてしまいます。これが私たちの脳の働きです。

そうして信頼できない人や出来事の情報ばかり集め「やっぱりそうだ。」とばかりに自分の「私的論理」についての強化が起きるのです。

「そうではない事実」があることについて「あれはたまたまだった。」と考える。事実に目が行った方が「信頼できる人がいる」と考えられるので人間関係は良い方向へいくと思います。アドラー学ぶと視点が変るので、事実について正確に見られるようになります。

人間関係で一番大きな影響が出るのが「出来事の解釈・捉え方」です。これは「認知」と呼ばれます。

今度メルマガで詳細について書こうと思っていますが、ライフスタイルでできている「私的論理」は「事実」より強い。

たとえば「人は信頼できない」と思っている人は、成育歴の中のどこかでその「私的論理」採用しています。

そうすると「信頼できる人・出来事」があってもそれは例外としてとらえ「信頼できない人・出来事」ばかりに注目して事実には蓋してみなかったことにしてしまいます。これが私たちの脳の働きです。

そうして信頼できない人や出来事の情報ばかり集め「やっぱりそうだ。」とばかりに自分の「私的論理」についての強化が起きるのです。

「そうではない事実」があることについて「あれはたまたまだった。」と考える。事実に目が行った方が「信頼できる人がいる」と考えられるので人間関係は良い方向へいくと思います。アドラー学ぶと視点が変るので、事実について正確に見られるようになります。

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自分の対応OK?Not OK?検証フレーズ

「対応」は失敗を活かしてこそ
「次」につながる

アドラー子育てを実践していると「うまくいかないなあ」とか「失敗しちゃったな」という場面は多々あるでしょう。

子どもがわがままを言って自分の意志を通そうとします。まさに理屈もなくごり押ししてきます。あなたが何と言おうと頑として聞きません。

もうすぐご飯だとわかっているのに「おやつ」をくれとねだったり、お約束のお片づけを放り出して「今ゲームしたいから」と知らんふりしたり。

そんな時、あきらめておやつを出したり、ゲームをさせ続けるとどうなるでしょう?

「ごり押しすれば通る」ことを学んでしまうかもしれません。自分の対応があっているかどうかを検証するのに便利なフレーズがあります。

対応に迷ったら以下のフレーズを自分で呟いてみてください。

「わたしが~すると、子どもは何を学ぶんだろうか?」

学ぶことがわかったらそれが子どもに役立つのか役立たないのかがわかります。社会に通用するのかしないのかもわかります。それじゃどうすればいいのか、役に立つ対応が次に考えられるはずです。

失敗した時こそ「何を学んでもらえればいいのか」そのためにはどういう対応が望ましいかを考えるチャンスだと思います。失敗を糧にステップアップしていきましょう。

アドレリアンは真の楽観主義者

くよくよ考えるより
行動したほうがいい

アドラー心理学を軸に生きていると「真の楽観主義」でいられるようになるんです。

これから先どうなるかわからないものをくよくよ考えても仕方がない。それより「今自分がすべきこと」をちゃっちゃとやりましょう、というスタンスで生きられるようになる。

お気楽主義は「やるべきことをしないでなんとかなる」という考え方。

自己肯定感が高い人の中にはこの二つを混同している人がおられるね。

真の自己肯定感が高い人って前者だと思うのです。後者に対しては「その自信はどこから来るの?」と思うことが多々ある。

昨年の秋にすごく体調が良くなったので、「走りたい」という気持ちが自然に出てきた。市民マラソンに2キロってコースがあるから、チャレンジしてみたいと思った。今年はコロナ対策で10キロのコースしかないというので来年から完全再開だということでした。

来年まで時間の余裕があるならバッチリ準備できますよね。ということで日々ウォーキングで距離を伸ばしてフットワークを軽くしているところ。

行動しないと自信はつきません。これははっきり言えます。考えているだけでは何も変わりません。行動するからこそ「自分が好き」が増えるってものです。

コロナ過で女性の自殺増加

今朝ニュースを見ていて、コロナ過の中で女性の自殺が増えているという報道がありました。

自殺者の原因内訳は、特に家庭内の問題で悩んで自殺するというデーターが示されています。

家庭内の問題と言うのは、夫婦間、子育ての問題、同居する家族間の問題とのこと。

アドラー実践する人が増えて、自己受容して生きられる人が多ければ、こんなことにはならないと思います。

アドラー心理学は「他者と協力して仲良く生きるための心理学」です。そして自己受容はありのままの自分を受け入れるということ。

双方揃っていれば、決して自ら命を絶つなんてことは起きないと思っています。

国民総鬱の時代が来ると言われて久しいのですが、「予防」という観点からはなかなか人は動かない。

自分が悩んだり、苦しかったり、生き難いと感じた時に相談をしてもらえればいいのだけれど、日本人には「身内の恥をさらさない」という強い信念がある。

それをこちらが丹念に崩していかないと、この状況は変わらないだろうと、そう思っています。まだまだやれることはたくさんある。

今年は「東北勇気づけプロジェクト」に着手すると決めている。どういう形になるか、これからプランニングです。

自己肯定と自己受容の違い

ずっと違和感を覚えていた「自己肯定」、最近になって自分の中ですっきり自己受容との違いが整理ができた。

いわゆる一部の自己肯定感が高い心理職の人たちに「その自信はいったいどこから来るの?」と感じることが多かったんですよね。

同じ資格を持っている人でもそうでない方もおられるので、性格の問題かしら?と思ったりもしていたけど、やはり自己肯定感を高めるトレーニングの過程で「捉え方・受け止め方」の違いがあったんだなとそう感じました。

自己受容は、今の自分が60点だとして、それを認めてそこからスタートし61点になるには、62点になるには・・という未来への向上心がセットになります。

それに対して自己肯定は、たとえ自分が60点だとしても100点だとしてしまうこと。これじゃ根拠のない自信に満ち溢れた人が出てくるはずよね。

すっきりしました。

「言い訳封じ」アドラーのやり方

人生の課題を前に「様々な方法」で課題を避けようとする人々の姿を今まで書いてきました。

アドラー心理学は別名「言い訳封じ」の心理学と言っていいと思います。

もっともらしい言い訳や方法で課題に取り組めない人々は勇気をくじかれているので「勇気づけ」をして「あなたにはできます。」「あなたにはその能力があります。」と勇気を持っていただけるようにしていきます。

その過程で時に「言い訳封じ」をすることもあります。相手のライフスタイルにもよりますが

「そろそろ言い訳やめませんか?」「それは問題にならないと思うのですが。」と言った介入をすることがあります。

本人はそのご自分の傾向を自覚していないことが多いのです。以前書いた直面化にも近いかもしれませんが、背中を時に強く押すきっかけになります。

こちらも時と本人の様子、タイミングを計ってのことです。セラピストとしての力量が問われます。

相手のニーズをつかめない人々

相手と話していてかみ合わないとき、お互いに相手のニーズをつかめていないことがあります。

お互いのニーズをつかめないまま話を続けると、とんでもない誤解に発展してしまいます。

アドラー心理学の認知論はこういうときにも使えるのですが、相手と通じていると思い込まない、相手は違うかもしれないということを常に意識することにつながります。

もしかしたらとんでもない思い込みを双方がしているかもしれないのです。なぜなら認知論によれば「人は一人一人違う」からであり、当然「同じことを見聞きしても感じること、考えることは違う」からです。

「もしかしたら自分の考えていることは違うかもしれない。相手は別のことを考えているかもしれない。」という意識をもっていれば、そこに必ず「確認」という作業が入ります。

特に皆さんのお近くで「思い込みの強い人」がおられるなら、こちらが「確認」をしてカバーするぐらいの気持ちで対した方がいいと思います。

また思い込みで相手が暴走した場合、「どうしてそうなったのか?」も確認して「それはあなたの思い込みですよ。」ということも繰り返し伝えていかなければなりません。

特に家族は「わかっているもの」としてこの確認を怠りがちです。身近なところにこそ落とし穴があるのだということをわかっていた方がいいかもしれません。

課題への直面化

課題を前に取り組まなくて済むように様々な方法を私たちは取ることについては今まで書いてきました。

アドラー心理学を学び始めると、その避けていた課題に直面することになります。

アドラー派のカウンセラーはその際に直面化という方法を使います。

これはあなたの課題ですから取り組みますか?取り組みませんか?取り組まないとどうなりますか?取り組むとどうなるでしょう?

など、クライアントに決断を迫る場面が出てきます。先日の事例検討会で「相手のライフスタイルを見てやらないと、、。」という話をしました。

ライフスタイルには「受け身」の人と「能動」の人がいます。受け身の人にはズバッと直面化を促しても割とうまくいくことが多いのですが、能動的な人それもバリバリのドライバー傾向(優越)の強い人については、慎重に事を運ばなければなりません。

反感を食らう、もしくはカウンセラーやリーダー不信に陥る。相手のライフスタイルなくして

他者支援はあり得ません。相手のライフスタイルを「たぶん~だな。」とわかるところまでは行けても「それじゃ~の時はどうする?」まで行かないと技術で終わってしまいます。

テクニックをスキルに落とし込む。臨床で必要なのはそういうことだと思います。

自分を守る方法(5)「排除傾向」

ライフスタイルに基づく信念が柔軟であればあるほど、人の適応力は高くなります。

頑固で柔軟性のない信念は人の成長過程で人生の課題に屈服したり、そういう人たちは自分が無傷なままで人生の方が変わってくれればいいと思っています。

もし私たちが自分を称賛する人々とだけ付き合っていたら、自分の人生を変える準備ができていないので他の人たちからのアプローチを制限してしまうことになります。

自分へのアプローチを制限し、要求に適さない人々や状況を排除することになってしまいます。違いを認め、違う人との交流を通して自分のライフスタイルの信念を柔軟にすればこそ人生に適応できるのです。

自分とは合わないから、自分とは違うからと言って遠ざけていればその柔軟性は育まれません。

自分を守る方法(5)「不安を作る」

「挑戦を避けて自尊心を予防保護する方法の一つは、不安を作ることである。」アドラー

人はうまくいかなくなると人生を恐れ、他の人々や課題を恐れます。

恐怖症やパニック、神経質な状態も、個人に課せられた課題から免除されるのに役立つのです。

私たちは何かを達成できないことを正当化するために「わたしは不安なの。」というフレーズをよく使うのです。

不安はアドラーにとっては、自分を守るための手段であり、課題への挑戦を回避する手段にすぎません。

恐れは免除にならないのがアドラー心理学です。課題を前にしり込みする人々の背中を押し続けるのは私たちアドレリアンができる最大の貢献だと私は思っています。

自分を守る方法(5)「距離をとるー障害物をつくる」

何かが終わらないと~できない。

こう考える人は結構おられます。

「子どもの受験が終わらないと。」「子どもが自立してから」「主人の単身赴任が終わらないと。」

などなど自分の課題を先送りします。

働きたくない人は「今そんな気分じゃないから」と自分の感情を理由にしたりします。

働きたくないのでこういう場合には決して感情の問題は解決しないのです。

ある人は細かいことに忙しすぎて肝心の重大な課題に取り組むことができません。

事体はどんどん悪くなる、些細な事柄を重大ごとのように考え、手元の課題にフォーカスすることができなくなっていきます。

人生は時に立ち止まるべきよ、そうでないと私は進めないの、と言って立ち止まったまま動かない人は自分の人生そのものを障害物と定義していると言えます。

自分を守る方法(5)「距離をとるー立ち止まり・大人になることを拒む人々」

人生の課題を前に「立ち止まってしまう」人がいます。

立ち止まると時間が稼げます。誰か適切な対応を指示してくれたり誰かが自分の課題を解決してくれるものとして時間を稼ぐのです。自分が課題に向き合い克服しなくて済むようにです。

他の人が自分の人生を踏み出しているにも関わらず、自分だけは遅い思春期にいるようなものかもしれません。

その人は「大人になること」を拒んでいるのです。

「大人になったら大変」とそう考えているのかもしれません。

自分の周りの大人を見てそう思いこんでいる可能性はあると思います。

大人になったら自分の課題に向き合い対処しなければならなくなります。立ち止まったまま、時間をできるだけ稼いでそれを避けようとすると言えるでしょう。

自分を守る方法(5)「距離をとるー後退・かぐや姫」

後退ー後ろへ下がることですから「課題への挑戦」から遠ざかることになります。

課題が通り過ぎるのを待つ、もしくは現実に目をつぶり課題などなかったかのように行動します。

ギリシャ文学の中にユリシーズの妻であったペネロペの話が出てきます。

ユリシーズ亡き後ペネロペは押し寄せる求婚者を前に埋葬用の服を作ることを理由にそれを拒否し続けました。

埋葬服を作り終わったら誰か一人と結婚します。実際には一日中服を縫いながら夜になるとそれをほどいていました。

押し寄せる求婚者に無理難題を出し、結婚を受け入れようとしなかったかぐや姫に似ています。

後退は断念(気乗りのしない試み)と破産(完全なあきらめ)を含んでいます。

自分を守る方法(5)「距離をとる」

人生の課題に直面し挑戦しなければならなくなった時、人は特有の動きをとることがあります。

取り組まない人の言い訳は「言葉」ですが、距離をとる振る舞いは「動き」です。

それは何をしようとしているのかを表しています。

アドラーがよく述べていたことは、人の本当の意図をしるにはその人が「どう動くか。」を見ることです。

「人を理解したければ耳を閉ざさなければならない。」

私たちは見さえすればいいのです。パントマイムを見ているように相手がどう動くかさえ分かればいいのです。

距離をとるという方法には四つあります。

「後退」「立ち止まる」「躊躇して行ったり来たりする」「障害物をつくる」

次回から順に書いて行きます。

自分を守る方法(4)「攻撃性ー非難」

攻撃性の形をとる「非難」には二種類あります。

他者非難と自己非難です。他者非難は自己弁明です。

「自分は~である(~であるべきと思っている)のにあなたときたら・・。という形をとります。」これはどういう結果になるかというと他者が責任を取らされます。

「あなたのせいで傷ついた。」こんな言葉が浮かんできそうです。

傷ついたのはそう解釈した側の課題です。明らかに相手を傷つけようとする意図がない限り、他者はおおむね良かれと思って言っていることが多いのですが、「傷つけた。」という結果を相手に追わせて相手の責任にしようとします。

自己非難と罪の意識はアドラーが攻撃性の最終形と言った形で、アドラーはこういっています。

「もしも人が他者を傷つけるために自分を傷つけるなら、彼らは典型的な子どもの行動をとっていることになる。」

これは自殺のメカニズムを説明するのに理解しやすいかもしれません。

自分はダメな人間で存在価値がないと自殺をする人は、自分をダメにした、存在価値を認めなかった周り・社会に対して最後の手段として傷をつけようとしていると言えます。

また自分に気が付いてくれない、自分に注目してくれない周りや社会への復讐として、自分の命を懸けるという方法です。

子どもは自分や他者に何の幸せももたらさない方法で目的を達成しがちです。それは大人になっても同じで、その方法をとり続けることは容易に想像できるところです。

自分を守る方法(3)「攻撃性ー軽視」

「軽視」は実際に他者を下に見ることです。自分がもし他者より劣っていると感じたら自分自身を高めるようにするか、もしくは相手を引きずり下ろすしかありません。

「軽視」には「理想化」と「心配」の二つの形があります。

「理想化」は自分の理想を掲げ実在の人物をその理想に照らし合わせて拒否してしまうことです。

理想の女性を追い求め、会う女性をその理想で測り出会う女性を満足できないとしてひそかに価値を下げてしまいます。

「心配」は「自分がいなければ他者は何もできない」かのようにふるまいます。他者が自分を必要としていることで他者の犠牲の上に自分を高めることができると言えます。

私はアドラーをやり始めて「心配しているんです。」と言われるとなんだかとても嫌な気持ちになることが多かったのですが、理由はこれだったんですね。

自分はそんなあなたに心配していただくほど無力でも無能力でもありません、と言いたいと感じていました。

自分の中に「相手が自分を軽視している」と感じるアドラーセンサーが働いていたんだと思います。

分かり易い例で言えば「心配だからちゃんと~してね。」と親に言われると、子どもは「親に心配かけちゃいけない。」と思います。そうすると親に心配をかけないようにすることが子どもの思考・行動にブロックをかけてしまいます。

そうしないと家族という共同体に自分が所属できない、所属が危うくなると感じるからです。

自分が差し迫った状況(いじめ)などに置かれていても、親や身近な大人に相談できない子どもがほとんどで、追い詰められて死を選んでしまうのは「話したら心配をかける」というブロックが働いているということも考えられます。

良かれと思っての心配もほどほどにしておくに越したことはないのです。

課題分けで言えば「心配」は親の課題であり子どもの課題ではありません。自分の課題を子どもに肩代わりさせてしまっているということに気が付けば、ほどほどに・・・ができるようになると思います。

大人同士でもこれは同じです。相手のことが心配なのは自分の課題なのです。

自分を守る方法(2)「言い訳」

症状が無意識であるのに対して言い訳は典型的な意識的な自分を守る方法です。

個人はいつでもそうですが「こうでなかったら、私は~できただろうに。」ということを言いたがります。

アドラーはこういう方法を

「はい、でも・・YES~BUT」と言っています。

「~しませんか?」に対して「はいそうしたいです。でも~」というわけです。

お子さんでしょっちゅう手を洗っているお子さんがおられますが、アドラー心理学でいうと「彼女(彼)は現実の問題を避けるために手洗いを利用している。」ということになるでしょう。

現実に適応するよりも自分の清潔に固執している状態と言えます。

「もしこの手洗いをやめることができさえすれば、働けるのに。」という言い訳に使われます。

言い訳は別な言い方をすると「合理化」です。あたかももっともだと自分も周りも納得するように「言い訳」を合理化するのです。

合理化も言い訳も人間のプライド・自尊心を守るためのものであることと考えるのです。

自分を守る方法(1)「症状」

症状を発現する人々は、課題や挑戦に対してまだ準備できていないと感じていて、これを避けるために症状を使います。

もしも私に頭痛が起きたらテスト勉強をするにはあまりにも「具合が悪い」のかもしれませんし、私がとても落胆していたら、他の人に私のことを世話させることができるかもしれません。

もしも指示を聞くだけでいっぱいになっていたら、私は仕事の課題に打ち込めないわけです。

人間の機能における症候学の役割については別に記載しますが、ここでは症状は自尊心を予防保護し、責任や他者との関わりからの免除のために作り出されることと指摘しておきます。

自分には「まだ準備が整っていない」と感じているのです。準備が100%になったとしても、何か理由を持ち出して取り組むことを避ける人々は勇気をくじかれています。自分の能力を信じていないし、自分に価値があるとは思えないでいるのです。

だからこそ「勇気づける」ことが必要なのです。「あなたには価値があり、あなたには能力がある」ということを伝え続けなければなりません。

自分を守る働きー「セーフガード」

私たちにはもともと生物としての防衛本能が備わっています。

生き抜くために必要があってあるのですが、これが他者に対して使われるとどうなるか、どういう反応・行動が起きるのか、についてしばらく書いていこうと思います。

人によっていろんな形をとりますし、あってしかるべきものですが、程度が問題になるのです。

自分を他者から守るって結局のところ「自尊心が傷つかないようにする」ということです。

自尊心を守るための行動ー症状・言い訳・攻撃性・距離をとる・不安をつくる・排斥&除外

こんなところが挙げられます。

私たちの心の仕組み上「自分を守らなきゃ」と思ってそうしています。

これが過度なのが「神経症」と言われる状態です。自分の能力を信じていないので、人生のタスクから逃げようとします。

その際に上記のような反応が出るのです。

アドラーを学ぶことで自分に自信がつけば「そんなに自分を固くガードしなくても大丈夫みたい」とか「わりとできるかもしれない」と思えたり、強すぎた傾向が緩和されていくと思います。

おひとりさま好きと孤立・孤独はイコールではない

昨日の記事でフューチャーマッピングの画像が小さくて見えないというご連絡があったので最後にでっかい画像のせておきます。やり方は人それぞれ工夫しながらやっていったらいい。

さて最近増えている「おひとりさま好き」と「孤立感」「孤独感」は同じではありません。

一人が好きは、単にテイストの問題。好みです。

孤立とか孤独は「他者とつながっている感覚を持てていないこと」です。

一人が好きで一人でいることが多いとしても他者とつながっている感覚が持てていればOK。

私たちは誰でも老いるし社会的な役割を手放すときが来ます。自分が何もできなくなる時が来るのです。

その時に他者とつながっている感覚が持てていれば「最後まで自分らしく生きたい」という気持ちが持てる。そのためにもやはり自分の世界を持っていることが望ましい。

一人暮らしだとか結婚していないとか、そういう人に対して「可哀そう」とか「寂しいでしょう」なんて言葉をかける方がおられるが、そういう発想をする人の方がよっぽど寂しいのです。

実家の母なんかはちゃんと自分の世界を持っていますから、そういう意味では一人で暮していても精神的な部分では安心していられる。

他者や何かを自分の拠り所とせず自分の足で立て、ということです。

そうでないと自分が何も役割が無くなって何もできなくなったときに自分を投げてしまう。

投げ捨てていい命は一つもないと私は思っています。

フューチャーマッピング

2022・創造性をフル活用ーこうなるといいなあの実現法

今年も始まりました。7時になりたい自分になる方法をメルマガで配信予定です。

アドラーでいうと自己決定性ー創造力の活用ということになります。

私の使っているのはフューチャーチャーマッピングという方法です。

だいたい実現したいことがあると、皆さんはゴールを設定したらそこへ向かって自分が一歩一歩階段を上がっていくイメージを持たれると思います。

それでいいのですが、1段1段の設定を具体的にどうするか、で悩まれるのではないでしょうか。1段の設定が低すぎるとゴールまでの階段は長すぎることになりますし、高過ぎると上がれないということになります。

フューチャーマッピングはゴールから現時点への1年後なりたい自分になるために、今年の12月にあなたはどんな気持ちで年の瀬を迎えたいのかを設定し、そのためには11月にはどうなっていたらいいのか、10月は?9月は?6月は?と逆に考えていきます。

最終的には現在から一週間の設定でのプラン作成になります。

そうすると一週間の細かい単位で具体的に何をどうすればいいのか、何ができそうかが自分の頭の中にクリアになります。

「~だったらいいなあ。」という漠然としたもので構わないので、創造力を膨らませてなりたい自分、こうであったらいいなあという自分をぜひ考えて見てくださいね。

何かを達成したいというものがある方には特にお勧めです。取り掛かりたいことがあるがなかなか手につかない方にもお勧めです。

1年後・半年後・一か月後・一週間後のゴール設定が明確になりますよ。

2021・総括
人生の課題に向き合う人々に勇気づけられた一年

「落ち込んだことを含めいい一年でした。」大リーグAリーグでMVPを獲得した地元出身の大谷翔平選手の言葉です。

私自身もそんな感じかなと思っています。落ち込みはなかったかもしれない。

今年はコロナ過をうけてすべての講座をオンラインで開催してきました。仙台のみでやっていたときと同様、毎月20名~30名のご参加で年間300人ほどの方に関わらせていただきました。

共感をテーマにした一年でもありました。「相手の目で見て相手の耳で聞き相手の心で感じる。」です。

腹の立つことがあっても「多分相手はこう捉えているんだな、相手はこう聞いたんだな、相手はこういう気持ちでいるんだな。」そういう観点で起こった出来事や相手を見ることができれば相手を理解し、受容することは可能です。

来年以降もこのテーマは不変です。なぜなら「勇気づけとは共感的に関わること」ですから。

プライベートで言えば、1月に父が亡くなり、3月に姑が骨折・入院・施設を四か所転々と、その間母が何度か具合が悪くなり救急へ、姑の落ち着き先が決まり母の調子がいくらか良くなったと思ったら、新潟の叔父が死去・相続の手続きをすることになり、という感じで三年前からずっとこんな調子です。

それでもほとんど精神的に落ち込むこともへたることもなくやってこられたのは、やはり折々に関わって助けてくださった方たちのおかげでした。

講座でもプライベートでもそうですが、人生の課題に向き合う人々、手を差し伸べてくださる方々の姿は私自身とても勇気づけられました。

人はひとりではない。ひとりでは生きていけないのだということを実感させられた1年でもありました。

そういう得られることの多い一年でしたので、ありがたいという気持ちしか今はありません。

優しい穏やかな気持ちで今年最後の一日を迎えることができました。今年一年関わってくださった方々に「ありがとう」の言葉を送りたいと思っています。

そして自分にもありがとう、と言いたいです。

来年以降はコロナの状況を見ながらですが、仙台とオンラインの同時開催で相談会や講座を進めていくつもりです。プライベートでもまたたくさんの方々にお世話になることでしょう。

そういった中で感謝の気持ちをもって相手と対すること、自分に対することを大事にして行けたらいいなとそう感じています。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

心の不調・きっかけは「人間関係」

もう少し内閣府の調査について書いていくと、心の不調を訴えた人のきっかけも調べているんですが、複数回答で少々わかりにくいんだけれども、職場の人間関係をきっかけに心を病んでしまったという人が60%なんですよね。

他に身近な人間関係、直接職場に関係のない人間関係も含めるとかなりのパーセンテージを占めていて、私たちにとって人間関係がどうであるかがいかに大事かということがわかります。

自分だけはならない、みんなそう思っています。多分なってしまった人もそう思っていただろうと。

でもこればかりはわからない。これから先二人に一人が鬱という予測もある。メンタルを強くするというよりしなやかな発想・対応ができるようになっていることが望ましいと感じています。

アドラーを学んで、軽い鬱からすっかり脱却した方は結構いらっしゃいます。あとはやっぱりプラス自己受容とレジリエンス。

ありのままの自分を受け入れることができていて、しなやかな心の回復力を持っていること。

これできてると現時点では心の不調最強予防と言えると思います。

回答で気になったのは「もともと持った性格」って項目があって、それを選んだ人がいるんですけど、ありのままの自分を認めていたら「もともとの性格」で心病んだりしないと思うけどね。

この回答を見てもいかに自分を認めていない人が多いのかがわかるような気がしています。

「自分の世界を持つ」の勧め

先日ふれた「総務省」の新しいデーターっていうのは「全国の自治体職員のメンタルヘルス(心の健康)に関する初の大規模調査の結果」なんですが、それによると心を病んで1週間以上休んだ職員が2万1千人もいると、いうことが出てます。

この自治体職員の中には「教員・消防・警察」が含まれていませんで一般行政の方たちが対象とのこと。

全部含まれたらどれだけの数になるのか、民間を加えれば恐ろしい数値になることは容易に想像できますよね。

私たちって「すべきこと」「しなければならないこと」で人生のほとんどの時間を過ごしてしまいがちです。たとえば社会人としてとか、父として母としてとか、嫁として長男としてとか・・などの社会的役割から発生する事柄をこなすことで自分の人生のほとんどを送っているのではないかと考えます。

私はこれからの時代心の健康を保つには「すべきこと」と同時に「したいこと」の世界を個人が持った方がいいのではないかとそう考えています。

日本人には「やりたいことをやる=わがまま=悪いこと(罪悪感)」という図式がある。

これを「やりたいことをやる=自分を大事にする=良きこと(充足感)」という図式に変えたいものです。

ヨーロッパあたりだとまず「やりたいこと」があっての「やるべきこと」って考えが根底にあるような気がするんです。

日本人は休暇を「余暇」だと考えますけど、余暇ってすなわち「やるべきことをやって余った時間を好きなことに使う」って考えですよね。

ヨーロッパだと「まず休暇をあらかじめ決めて、その休暇に向けてやるべきこと(仕事)を頑張る」って逆の発想してます。

どっちにも長短あるんでしょうけど、私にはちょっと日本人は「がんばりすぎよね。」と感じられてならない。

もちろん子育て真っ最中であるとか、仕事を始めたばかりであるとか、頑張らなきゃいけない時期も人生にはあるわけですが、だからといって自分を大事に自分に優しくしなくていいということにはならないのではないか、そう感じてます。

アドラーあるある・配偶者が協力してくれないっ!

最近ご夫婦で受講して下さる方が増えてきたり、学んだことをご家族で共有して家族でアドラーのファンになってくださったりするご家庭もありとてもうれしいと感じています。

講座受講後はとても優しい気持ちになりますから、そういうお母さんを見たお子さんが「アドラー大好き」って言ってくださったりね。

でもほとんどはどちらか一人、やはりママさん(パパさん)の受講が多いのが現実です。そして「自分がせっかくアドラーを学んで勇気づけしているのに、主人が(妻が)子どもの勇気をくじいてしまう。」

アドラー実戦あるあるです。こういう悩みは誰もが直面すると思います。

でもね、これをやり続けるとたぶん配偶者はアドラー嫌いになってしまうんですよね。

なぜなら「協力してくれない」「一緒にやってくれない」と思った時点ですでに相手のことを評価していますから。いったん嫌いになったら二度と好きになってはくれないと思うんです。それはできれば避けたい。

それでこう考えて見ませんか?ってことをご提案しておきたいのですが。

「これって夫婦仲良くしなさいよ。」っていう自分の課題だって。

相手を自分と同じ方向向かせるとか評価するんじゃなくて「仲良くしよう」という方向に自分が向かえばいいんです。

ってことはお子さんに対してと同様に配偶者も勇気づけしていけばいいのです。

だいたいが「子どものことを思って・・」って視点で見れば夫婦間での目標の一致があるわけですから、わざわざ採用している方法が違うからと言って争う必要はないのですよね。

自分は自分の方法で、相手は相手の方法で子どものために良かれと思って・・なのですから。

そこが一致しているのに争うのはもったいないと思うんだよなあ。。どうせならアドラー好きになってほしいなとそんな風に思っています。

感情を味わい尽くす

感情を子どもや他者に向けずに対処できるようになってきたら、今度は自分の感情と丁寧に向き合うことが必要になります。

そうでないと感情が押し込められたまま自分が苦しいと思う。

その時は一人になれる場所、一人になれる時間でやることが必要かなと思うんです。

丁寧に自分に問いかけていくといろんな感情が自分の中から出てくると思います。

不安だったんだな、寂しかったんだな、悲しかったんだね、辛かったんだな・・・。

そういう自分を評価しない(いやこう考えてはダメだとか、それはできないとか言わない)で「ああ、自分はそうだったのか。」と受け止めて味わい尽くすこと。

気持ちを押し込めてきた人ほど時間がかかると思うけど、最後の最後に自分って愛しいと感じるところまで行けば大丈夫だと思うのでそこまでやれればいい。

私はこの2~3年の出来事に向き合う時間が取れなかったので、今年の10月ぐらいからあらかた2か月自分と向き合う作業をしてきました。

内観に近いかもしれない。一般に普及している内観は親に対しての感謝であったり自分を取り巻く人への感謝を見つける作業ですが、私のいう内観は自分への感謝を見つける作業です。

自分が愛しいと感じられれば、前を向き先へ進むことができます。

感情がやっと動くようになったと感じています。感情の動かない方、多いんです。何をどうするかとか何を言うか、に囚われて、自分の気持ち・感情に向き合うことをしてきていない。

本当はそれが一番生きていく上で大事だと私は思うようになりました。それは自分を大事にしていること、愛している感覚を持てていることにつながると、そう思っています。

アドラー心理学とネフのセルフコンパッション

アドラーの子育て講座を受講すると、前半は子どもや他者にどうかかわるかといういわゆるテクニックの部分を学んでいきます。

そして最後に自分がそのテクニックを活かすにはどうあればいいのか、という人間的な在り方、土台の部分について学習していくことになります。

相互尊敬・相互信頼・貢献感・自己受容という土台があって初めてその技術が活かせるのです。

相互尊敬・相互信頼・貢献感については「自分の方からより尊敬し信頼し、他者のために貢献していこう」と自己決定すれば何とかなるかもしれないけれど、自己受容についてはどうしても自分を評価してしまってなかなかたどり着けない方が多いです。

自分を勇気づけられさえすればできるけれども、「できない自分」に勇気くじきをしてしまいがちです。

今年は幸いなことにネフのセルフコンパッションに出会ったので、どうしても自分にダメ出しをしてしまいがちな自分に厳しい方がきっと「自分って弱いところもダメなところもいいところも全部ひっくるめてOK」と思っていただけるようにしたいと思っています。

この時に必要なことがやっぱりアドラーの「不完全である勇気」と「完全になろうとする勇気」だろうと。

これがないとただの「自己肯定全開のしょ~もないやつ」になりかねません。

アドラーとセルフコンパッション、どうコラボしていくか、プランがまとまらないけれども、来年の私の課題です。

セルフコンパッションー自分にも他者に対するように少しでいいから思いやりを持ちましょうね、ってことです。

自分に優しくしてね、自分を大事にしてね、ご自愛くださいね、日本にはいろんな自分を思いやる表現があるんだけれども、実際にそれができているかというとかなりの疑問です。

ちょうど内閣府の調査で新しいデーターが出たばかり。自治体職員の60%が人間関係で心を病んでいるなんて見逃せない報告が出たばかりです。

年末年始ぐらい自分に優しくしてくださるといいなあと思います。

最初は「あ、みんな違うんだ。。」とわかればいい。

みんな同じだと思っていることが人間関係のトラブルの原因になることが多いのですが、みんな同じという思考の底には「だから自分が正しい」という信念があります。

誰かと会話していて「それ普通は~だよね。」なんて言葉を聞いたことは皆さんあると思うのです。

その普通はどこから来ているかというと自分のそう思う価値です。

アドラー実践者をアドレリアンと言いますが、アドレリアンでしたらこんな言い方をします。「それ私の考えだと~だと思うんですけどどうですか?」

人は同じ出来事に遭遇してもひとりひとり解釈が違うーこれをアドラー心理学の認知論というのですが、どう解釈するのかが人によって違うと知っていることが大事です。

同じ出来事を見れば皆が同じ解釈をすると考えると、「普通は~だよね」になりますが、違うことを前提とすれば「自分は~だと思うけど。」と言う言い方になります。

普通は~だよね、と考える人は相手が自分の考えることと違う行動をしたときに腹を立てたり不安になったり慌てたりします。

グループワークの時に「~という出来事についてどう考えましたか?」というワークをすると

10人いれば10人の解釈が出てきます。こうやって体験から「人は一人一人違うんだ。」ということを学んでいただきます。

自分が正しい、自分が絶対という考えは他者との関係を良くすることはありません。なぜなら相手は自分が否定されたと感じるからです。自分の定規でもって相手を計るのと変りません。

定規を当てて自分を評価する相手と仲良くしたい人はおられないだろうと思います。

自分の持っている価値や判断基準はあくまで自分一人のものと知っているだけでいいのです。

あなたが正しいわけでも相手が正しいわけでもありません。お互いの考えを聴きあい尊重して歩み寄るためにも「人は一人一人違うんだ。」ということを知って欲しいものです。

感情的になるな、論理的であれ!

片方、もしくは双方が感情的になったら物事は良い方向へ進むことはありません。

すでに「権力闘争」の段階に入ってしまっているのでね。

どちらかがアドラーを知っていて「同じ土俵に上がらない」「リングから降りる」ことを知っているとそれは避けられるのですが。

ご相談があったときには「争いたいですか?」「勝ちたいのですか?」とお聞きします。

争いたいとおっしゃるとか、勝ちたい、とおっしゃる方にこちらができることはありません。お好きにどうぞとしか言えないのです。

でも相談に来たということは「本当は争いたくない」「別に勝つことを望んでいるわけではない。」と考えている可能性も残っています。

その辺は丁寧にお聞きしていきます。

いずれにしても感情的になることは相手との距離を遠ざけます。プラスの感情は相手との距離を近づけますが、独りよがりな場合には逆の作用をすることもあります。

アドラーをやっていると論理的な思考が身につきます。感情で行動を起こすのではなく、論理的な筋道があって行動を起こすようになっていくのです。

なぜなら私たちは生きとし生けるものの中で唯一理性・思考を持った存在だからです。先の見通しや将来の創造ができるのも私たち人間だけです。

冷静に考えれば「争うこと」は「幸せをもたらすのかどうか?」は誰でもわかることです。

なぜ日本人は自分や他者にOK出せないのか?

仕事上内閣府や総務省の調査データーを参考にすることが多いんですけど、興味深いデーターがたくさん出ています。

今年はドイツ人に比べて日本人の自己肯定感が半分ぐらいのパーセンテージしかないというデーターが出てました。

同じように勤勉でまじめな国民性なのに、ドイツの人の半分ぐらいしか私たち日本人は自分や他者にOK出せてない。

自殺や鬱が多いはずよねとそう思う。なんでか?っていうとすごく簡単なこと。

日本には「ちゃんとやって当たり前」「もっと頑張れ、もっとやれるはずだ」の国民性があるから。

私はこれを変えていく必要があると思っていて、「(あなたが今どうであろうと)あなたはあなたでいいのよ。」とか「頑張ってるね。」って今の自分や他者を認めていく人間関係を作っていきたい。

欧米とか宗教がバックグラウンドにある国だと、これを子どものころから教会の教えとして子どもに伝えることができるが、日本ではそれがないので本当は学校でやれればいい。

「自分もあなたも今いるだけで価値があるんだ。」ということを。でも学歴・成績至上主義の今の学校じゃ現実問題として無理でしょうね。

これが自分の中に根付くと本当に「強くなれる」んだよね。しなやかで強い心をもって生きられる。

あなたは自分にOK出せてますか?

あなたはすでにグッド・イナフなんです。ってことを伝えていきたいなあ。

あなたが何者か?はそれほど大事ではない。

人間関係は「どんな人?」で
決まる

ある人に興味を持った時に「あの人って何してる人?」って聞きますか?

それとも「あの人はどんな人?」って聞きますか?

何している人って問いは「職業」が答えになりますよね。

「お医者さん」って答えが来たらそれだけでその人を信用するに足ると思ってしまう方結構おられます。

ご存じのようにお医者さんと言ってもひとそれぞれです。

他にも「学校の先生」だとか「弁護士」だとか、職業を聞いただけでまるのまんまその人をいい人だとか立派な人だとか思ってしまうことありませんか?

人間関係においては、この問いはあまり役に立ちません。

私はどうしても必要がある場合とか、先方に知らせておいた方が失礼にならないだろうと考えたときにしか自分の仕事を明かしません。

人によっては職業を聞いたとたんにガラッと態度を変えてしまう方がおられるからです。

人間関係で大事なのは「その人が何をしている人であるか」ということよりも「その人がどういう人か」の方が大事なのです。

あなたの大事な友達は「~という職業だから」大事なのではありません。優しさだったり誠実さだったりと「どういう人か」が大事だからこそ友達なのではありませんか?

お子さんに対しても「何者かになること」を強制していませんか?どういうお子さんに育ってほしいのかの方が大事ではないかといつも思います。

うちの受講生にもお医者さんだったり弁護士さんだったり学校の先生だったりいらっしゃいますが、講座を通して親しくなってから「え?お医者さん?」とか「え?弁護士さん」とか飲み会で判明することのほうが多いんですよね。

営業攻勢をかけられる

HPを見て営業をかけてくる
人それぞれ

近年営業をかけられることが増えているんですが、私に営業をかけてくる人たちはうちのHPを見て「ぜひうちと組みませんか?」みたいな感じです。

検索対策してあるので上位に表示されますから目に留まるんでしょうね。

要は受講生とうちの間に入って紹介を取り次ぎマージンを取るという会社からのオファーがほとんどです。

テレビだと「マイベストプロ」がありますが、メールで型通りの営業してくるのでいつもスルーしています。

電話をかけてくる営業さんはまだ本気度が高いですが、実際問題としてこれ以上受講生が増えるとキャパオーバーになるので「困っていませんので。」と丁寧にお断りすることが多いです。

そんな中でお一人とても感じのいい方がおられて一応お話だけでも聞こうかなと言う気になりました。

何がその営業さんが他の方と違うかと言うと、よくうちのHPを読んでうちの強みをちゃんと理解しておられる。

うちが他と違うのは「講座をやりっぱなしにしない。身につくまで徹底的にフォローする」ところです。

よく見ておられると感心してお話を聴く気になったのです。でも結局のところこれ以上仕事は受けられないのでお断りしましたが、相手のことをちゃんとわかっている営業さんに、仕事の基本を見せていただいたように感じます。提供される側が嬉しいと感じること、自分のことをちゃんと理解してくれていると感じること。

それは人間関係でも同じなのですよね。自分のことをわかってくれる人がいるってうれしいに決まっています。

突かれた・・やられたな・・そんな気持ちになったのでした。

同胞葛藤・兄弟間の争い(3)親としてできること

できるだけ兄弟間の差を
つくらないこと

兄弟葛藤は劣等感の大きさが現れる顕著な例です。

何人かの子どもがいて、一人だけがとても優秀な場合または、一人だけがほかの子どもよりポジション的に低い場合などに劣等感の増幅が起きます。

上の子どもがこのポジションに置かれると、自分が一番上なのに一番役立たずだと感じている可能性は高くなると思います。

親がこういった兄弟間の葛藤を避けるためにできることは、意識的にしろ無意識的にしろ兄弟の比較をしないこと、学歴やその兄弟に対する対応に本人たちがあまり差を感じさせないような工夫をすることが求められると思います。

とはいっても本人たちはどうしても兄弟間で自分で比較をしてしまいます。それは避けられませんので、自分がほかの兄弟より劣っていると感じていることが察せられるのであれば、その子の良きところに注目して積極的に勇気づけしたいものです。

「どうせ僕は。。。」と言い出したら「あなたは自分の良さがわからないのかもしれないが、お母さんにはちゃんとわかっているし、あなたはかけがえのない大事な子どもであるのよ。」と伝えたいものです。

失敗をとがめずチャレンジしたことを勇気づけることももちろん必要になります。

同胞葛藤・兄弟間の争い(2)カインとアベル

葛藤は避けられないのか?

同胞葛藤について最初の記述と言えば聖書の「カインとアベル」の物語ということになるでしょう。

カインとアベルは同胞葛藤の末に片方が片方を殺害するに至りました。

兄弟とはそういうものだという解釈になりますが、アドラー心理学で考えると、子どもが争うにしろ、それは本人の自己決定ということになりますし、どういう性格を形成するかも本人の自己決定です。

したがって、避けられないものであるとは考えません。これはとても希望を感じられる解釈ではないかと私は感じています。

おおむね今の自分の性格が嫌でたまらないという方は多いのですけれど、アドラー心理学の自己決定性から言えば、その性格を選択したのは自分ですし、家庭内に居場所を持つため、親に愛されるための戦略であったということになります。

今その自分の性格が嫌でたまらないというのであれば、いつでも自分で選択しなおすことができると考えます。

喧嘩をする、争いという方法で兄弟間の所属を満たすのではなく、話し合いで家族の中に所属するという選択をすることも可能なのです。

そのためにはモデルとなる親が争いで物事を解決することを示すのではなく、話し合いで物事を解決する姿勢・行動を示していかなければなりません。

同胞葛藤・兄弟間の争い(1)

生まれ来る命が葛藤を生む

兄弟間の争いを同胞葛藤と言います。

歳の近い男の子どうし、女の子どうしはもちろんですが、異性の兄弟間にも起こります。

「なぜうちはけんかばかり?」と考えてしまうかもしれませんが、原理は意外と簡単です。

親の愛を巡って子どもは争うのです。これがエスカレートすると大人になってからもその争いは続き、断絶・決別にいたることもあります。

「どちらが親から愛されているのか?」があるからです。

親の愛を巡っての戦いが同胞葛藤です。

勝っていると感じているほうはその地位を失わないように努力しますし、負けていると感じているほうは勝っているほうを理由なく憎んだりします。

親が弟をひいきしているのであれば、本来ひいきしている親を憎みそうなものですが、そうではありません。弟を憎みます。そのあたりは恋愛に似ているかもしれません。

それほど子どもにとっては親の愛を得ることはいきるために必要な重大事なのです。

ギークの時代

ギークとは人間関係も構築でき
社会に適応できるオタクである。

先日ある精神科医の「遊び方講座」を受講した折にギークという言葉を知りました。

これからはギークの時代だそうです。確かに何かを徹底的に追及する人が成功する例が多々あります。

周りからどう思われようと関係なく、自分がこれだと思ったものを追求していくうちに高みにたどり着いていたという感じなのでしょう。

日本語だと「オタク」ということになりますが、日本でいうオタクは内にこもり陰気な印象があります。

ギークと言われる人は専門性と人間性を併せ持った分類であることが図からもわかります。

人としてのバランスもとれている、しかもオタクである、そんな若者が増えていくのかもしれません。

今学校に適応できない、会社に適応できないではじかれている人たちは、世の中が他者との違いを認める寛容な世界になればギークになれるのかもしれないとそんな風に感じています。

仙台会場再開のお知らせ

気持ちがいいと感じる
方法を使いましょう。

コロナで長らくご不便をおかけしていましたが、仙台会場を年明け1月から再開します。

密を避けるため大きめの会場で定員は10名とさせていただきます。

メルマガで告知しましたところすでに残り座席3名様となっております。

久しぶりに体面でお顔を見られるのはとてもうれしく感じています。

身近な人たちがコロナですっかり出不精になってしまっている傾向があるので、また元気なお顔をたくさん見られるといいなあと、そんな風に思っています。

当面は「子育て・人間関係の相談会」のみの開催として、1月はランチ(

も予定しています。

どうぞリアルを楽しみたい方いらしてくださいね。

仙台会場の日程・お申し込みはこちらからどうぞ

自分を好きになる方法

気持ちがいいと感じる
方法を使いましょう。

自分を好きになる方法を探しておられる方は結構おられるようです。

アドラー心理学でいうと自分を勇気づけることとなりますが、要は自分がしたり言ったりしたことで嫌な気持ちにならない方法を使うということです。

自分が嫌な気持ちになったとすればその方法は自分を好きになるのに役に立ちません。

誰かに何かを言われて嫌な気持ちになったとしても、それは相手のせいではありません。

相手の言ったことの意味づけを変えたり相手の良き意図を見つけたり相手を理解しようとすれば解決できるものです。

自分がしたことや言ったことで嫌な気持ちになったのだとすれば自分が行動・言い方を変えることで対応していけばいいのです。

嫌な気持ちにならない工夫は誰でもできます。ただ教えてもらわないとわからないことです。なぜなら学校も親も友達も誰も教えてくれないからです。

アドラー心理学の実践とはそういうことです。自分や他者との関係で嫌な気持ちにならない方法を学ぶということです。それが自分が好きになることにつながっていきます。

人間関係は仕事ではない

評価をしてしまいがち

私たちは生まれたときから「評価」にさらされて生きてきました。

生まれればほかの子と比べてどうか、親の期待からするとどうか、学校の先生の基準からすればどうか、といった具合です。

他者の物差しで測られ、いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとか評価され続けています。

でもこれを人間関係に持ち込むとうまく行きません。

誰も相手の物差しで「あなたは間違っていますよ。」とは言われたくないのです。あなたは私の期待には届いていません、あなたは私とは違うのでダメです、も同様です。

相手の物差しで測られる人生は辛いものです。あなたはあなたの基準で生きていいのです。

あなたが間違っているのではなく、その方法が間違っているとはいえることもあると思います。

評価は「行動」のみに言及し、くれぐれも相手の存在自体に及ばないように気をつけたいものです。

これはあらゆる人間関係の基本です。

・悩んでいる問題の解決方法・2

課題分けで考えて見る

相手がどういう行動をするか、どういう言葉を発するか、は誰の課題かというと相手の課題です。

そしてその相手の行動をどうとらえるのかはあなたの課題です。

すなわちもし相手の行動に「頭にきた」としたら、頭にきたのは、相手の課題ではなくあなたの課題なのです。

その際に大事なのはなぜあなたが怒りを感じたかを丁寧に見てみることです。

そこにはあなたの大事にしている価値観や「~すべき」という思考があると思います。

怒っては駄目というわけではありませんが、あまり二者間にはいい影響がないので、相手に向けない習慣を構築したいのものです。

言葉で伝えるという方法ですが、そのためには自分が何をわかってほしかったのかを明確にする必要があります。そうでないといつまでもわかってもらえないということになります。

・悩んでいる問題の解決方法・1

悩みの解決は相手を変えることではない、自分の捉え方を変えること

子育てにしろ、人間関係にしろ、悩んでいるときは「相手をどうにかして変えようとする」から悩んでいるんですよね。

今の相手がダメだから、今の相手が不十分だからと言って、相手にOKになってもらえたり、相手に十分になってもらったりしてほしいわけです。

このOKや十分は誰が基準のOKか、だれが基準の十分かというと、あなたが基準なわけです。

だから自分が満足するまで相手に変わってほしいと思っています。ところがこれは実際やろうとするととても大変なことです。

相手がそうしたいと思っているならまだ可能性がありますが、相手が望んでいない場合はほぼ無理です。

なので悩みの解決はどうすることが現実的で効果的かというと、相手の問題と捉えていたことを「自分事」にしてしまうことです。自分のことなら解決できます。

その辺はもう少し詳しく書いていきたいと思います。

不機嫌も機嫌も伝染する

TPOをわきまえられない
大人もいる

昨日たまたま夕方テレビをつけていて、大相撲の中継を見ていました。

ある力士をめぐって解説者がふがいないと言って怒ってしまい、アナウンサーがそれをなんとかなだめようとしていました。

「怒ってしまって不機嫌をあらわにしたら解説にならんじゃないの。」と思いました。その辺の立ち話をしてるんじゃなくて、公共の電波を使って不特定多数の人に聞かせることじゃないと感じ、とても不愉快に感じました。

普段の生活でもこんな感じで「この世は我が世」とばかりにやっているのかもしれず、それに対して誰も何も言えないのかもしれませんね。

聞いていると不機嫌が伝染しそうな気がしたので、画面から目をそらしました。いわゆる業界では大御所なんでしょうが、某放送でも大御所と称する人が誰彼にかまわず言いたい放題で、その番組も見るのを止めました。

決めつけのひどいものは聞いていてとても不愉快になりますね。何の権利があって本人をぼこぼこにするのか聞いてみたいものです。

我慢は美徳?負けは弱虫?

人生は楽しむもの・・
そういう発想に変えていきたい

実家の母と付き合っていると「我慢は美徳」であったり

「弱いのはダメ」と思っていたりする節があります。

毎日私たち兄弟は順番に夕方安否確認の電話を母にすることになっていますが、昨日は私の担当日で、エアコンの話になりました。

昨日はすごく蒸し暑い日で、黙って座っていても汗が流れ出てくるような日でした。

エアコンをつけているかどうか聞いたところ、窓を開けているからつけないと言います。

何をしていたかと聞くと「暑くてだるくて何もしないでいた。」と言います。エアコンをつけて快適な温度にすれば、何かやろうという気持ちになるかもしれないのにと思いました。

高齢者はそうでなくても暑さや寒さに鈍感になります。気が付いたら熱中症になっていたなんてことがあるらしいので、つける様に言いました。

こういう我慢は必要なのか?と思います。暑さに負けてエアコンをつけることは自分の弱さでそれは認められないとでも言いたげです。

こういう考えは必要なんだろうか?役に立つんだろうか?と思います。

エアコンつけないで我慢するのは母の自由だけれど、もし具合が悪くなったら、自分が辛い思いをするし、私たちも困るのです。誰にもいいことがありません。

これも一つの「協力」と言えるのではないかしらと思います。自分一人の考えに固執することはあまりいい方向へ行かないように感じています。

我慢は美徳であるとか、弱さは負けであるとか・・・という価値観から、人生は楽しむものという発想に変えていくのはこれからの時代に必要なことかもしれません。

ブームとは・・仕掛けがあって起きる

ブームとは
誰かによって仕掛けられるもの

最近いつも行くスーパーで「オートミールの特設コーナー」ができました。

昨日も同じお店へ行きましたら、今度は書店で「大人の塗り絵コーナー」が新設されていました。

誰かが仕掛けたなと思いました。テレビで取り上げたりするとあっという間にブームが起きます。

私が大学生のころって仙台の名物は「笹かまぼこ」と「牡蠣」しかなかったのですが、いつの間にか「牛タン」やら「ずんだ」やらが出てきました。

これも狙って仕掛けたから今名物になって定着しているのです。このようにブームとは誰かや何かをきっかけに、もしくは最初から狙って起きたり起こしたりするものです。

アドラーのブームと言えば「嫌われる勇気」ですよね。あれも仕掛けとしては最高だったのではないかと思います。

別に岸見先生が仕掛けようとしたわけではないでしょうが、出版社側は「売れる」という仕掛けをしていくのが仕事ですから、あれをきっかけにブームになったんです。

でもいまだに売れ続けているってすごいことです。本の力を感じます。

うちはあんまりブームに関係なくて、ブームだからと学びに来た人は少なかったし、今もそうです。そのほうが助かるんですよね。ブームだからって飛びついた人にアドラーは続けられないことが多い。根っこに厳しさがあるからね。

困って、何とかしたくて・・・じゃないと人は必死にならないからね。

対人支援職あるある・・

資格はある・・・
でも・・

「人は自分のことはわからない」とはよく言われることですが、いわゆる対人支援職、カウンセラーであるとかセラピストであるとかを生業にしている方で、資格は持っているが・・全然活かせない方はたくさんおられます。

昨日もSNSである方とやり取りしていて「あ~あるあるだね。」と言って笑ったんだけど、まったく「共感力」がない。

頭ではラポールの形成(信頼関係の構築)が大事ですよとか、共感で相手に対しましょうとかわかってるんでしょうけど、実際にはできていない方が多いです。

これがないと対人支援はやれません。

共感力を磨くことが信頼関係の構築につながる。そのためには徹底的に相手の立場に立って考えられることができるようになることが必要です。

あなたは今~な気持ちではありませんか?ぐらいなことが相手に確かめなくてもわかるようになることが必要です。

もちろん違っていることもあるので実際の現場では必ず相手に確認しますが。そうするとほぼほぼあっていることが多くなっていくはずです。

私がアドラーをやって一番難しくて苦労してやっとできるようになったことがこの共感ということでした。

資格はある、だからその資格を信じてクライアントが来るのですが、あまりにも共感とは程遠い対応をされるとびっくりだね‥なんて話をして笑いました。

資格があること、試験を受けて資格を取っていること、自分がそれでずっとやってきたから、でできていると勘違いしている向きもあります。

試験に合格したから、やれているからと言って共感ということができているわけではないことは人の支援に関わるなら肝に銘じておきたいものです。

ちなみにアドラー心理学の「勇気づけ」は共感的に他者と関わることです。ですから「共感力」のない人は勇気づけもできないということになります。

値段の問題ではない

日本品質絶対主義から
離脱するときが来たか・・

最近仕事はほぼサブのパソコンでこなしています。

オンラインの講座はオフィスの関係上メインのパソコンを使っていますが、このメインパソコン、サブの3倍の値段なのに、不具合が多くて使いにくいと感じています。

まだ3年しか使っていないのに、オンラインのZ00Mと相性がとても悪いうえに、すでにアルファベットのWが反応しない時があります。

ZOOMとの相性の悪さはうちだけではなく、あっちこっちで起こっているようです。

日本製だからと言って大丈夫とは言えない、安心していられないのよね。サブは海外のメーカーですが、サクサクと動きますからついサブに向かって仕事をすることになります。

値段や日本製であるとかが購入の基準にならなくなってきました。ユーザーが使いにくいと感じれば、高かろうと低かろうと価値は下がります。

講座もそうなんだけど、高かろう悪かろう、って結構あるようです。大枚はたいたのにさっぱり??だわ、というのは多い。

講座をやっているところってビジネスシステムに組み込まれるのは当たり前なので、それは自分で選択すればいいが、ビジネスシステムだとわからないで入ってしまった人が大枚をはたき続けて最後に気が付くみたいなのはよく見かけます。大枚はたいていい勉強したと思えばいい。人は痛い思いをしないと儲けの仕組みに気が付かなかったりするもんだからね。

安かろうが良かろう、がうちの講座って言えばいいか。(笑)さっぱり私は儲ける気がないので。

おかげさまでそこそこやれていて困らない程度に収入になればいいと思ってやってます。

発達障害とHSPについて思うこと

欠点として捉えず
特性として活かすことが大事

発達障害・ADHDであるとか、HSPであるとかということを自分や家族、子どもの欠点であるかのようにとらえている方は多いようにお見受けします。

発達障害については、お子さんがそうだと言ってご心配で親御さんが来られますが、アドラー育児を学んで実践していただくとほとんど気にならなくなり問題として捉えなくなります。

アドラー育児をやっていただくことで、そのお子さんの傾向が関係性を改善することでなくなるもの、それでも特性として残るものがはっきりします。

発達障害の症状にしても、HSPにしても、他の人と同じことをやろうとするとできないとか大変だとかということになるかもしれませんが、特性を活かしてほかの人と別のことをやればいいと考えれば才能になります。

そういう意味で相手の適切を見ていくアドラー育児や対人関係法は、発達障害やHSPnと言われるもののプラスの側面に注目していきますし、個人一人一人の良さや能力を伸ばすという点ではとても優れた方法であると感じています。

「うちの子、発達障害で。。」とか「実はわたし、HSPで。。」と言われたら「あら、他の人にない素晴らしい才能をお持ちなのね。」と答えたいと思っています。

 

システムで家族を見てみるーシステム論

システムの不具合を見るのが
家族療法

この間オンラインで夜に臨床されている方たちの事例検討会がありました。

6回シリーズで昨年一回目を受けたんですが、その後コロナで受講できなくなり、今年に入ってオンラインで再度やるというのでやっと続きに参加できました。

アドラー派のカウンセリング技法一つがおまけでつきますので、とてもお得な講座です。

その中で臨床で子どもの問題についてどうするか、といろいろ事例が出たんですが、システム論の話も出ました。

家族を一つのシステムと見立てて、システムの不具合が子どもの体の症状だったり、不適切な行動に出るという考え方です。

考え方としてはありだけど、現実問題として家族療法・家族全員そろってカウンセリングってのは難しいでしょうね。

自分が臨床重ねていると、子どもの不適切な行動や子どもの病的と言われる症状も、母親を中心として親が変わると親自身がそのことに注目しなくなるので(気にならなくなる)、自然に減っていくっていうのはよくあるんですよね。

安易に心療内科などの病院へ、投薬治療へ、の前にアドラーの子育てを試してもらいたいもんだと感じています。

お酒は飲むもので飲まれるものではないー飲まれるようになったら病気です。

飲んだらダメな時に
飲むのはすでに病気

千葉で飲酒運転による痛ましい事故が起きましたね。

飲酒運転や酒気帯び運転の事故が起きると、たとえば公務員だったりすると所属長が「職場で再度規律について皆で周知しあう。」みたいな謝罪会見をしますが、それって意味ないと思う。

飲んだらダメな時に飲むのはもう病気です。アルコールのコントロールが自分でできなくなっているのですから意志の力でどうにかなるものではありません。

アドラー心理学では「飲酒」の「目的」を考えるんだけれど、目的が「現実逃避」だったりすると変えられるもの変えられないものが出てきますし、

他のことで現実逃避できればいいんだけれども、安易にお酒で現実の憂さ晴らしをする習慣のある人は易きに流される傾向があるのでお酒を断つのはなかなか難しいんですよね。

だからまず病院へ、というのが現在では最初の選択肢になると思います。とはいっても薬が中心の治療ですし、今のところ決定的な治療法があるわけではありません。

薬でお酒への欲求を押さえたうえでどうする?って話になる。周りが何を言ってもダメですしね。

断酒会ってグループ療法が主ですけど、実際どれほどの効果があるのか疑問ですが、「一人ではない」感覚を持ってもらうことが狙いだとすると、それってアドラーでいうところの「所属感」ですから、自分は役に立っているし所属できている感があれば、破壊的な方向へは行かないかもしれないね。

田舎ってところは飲酒についてとても甘々。しかも不便だから車生活。

まあ我が家も母屋もお酒の問題は大きかったから余計関心があると言えるのですけど。。

お酒は飲むもので飲まれるものではない。飲まれるようになったらもうボーダー越えてますよ、ってことは言えるんだろうと思っています。

「気にしすぎ」「心配しすぎ」を何とかしたい・3

distructionーすべきことから
目を背けない

今日は「気にしすぎ」「心配しすぎ」な人への第3回目の投稿です。

心配の種がわかっているのに、それにあえて目を向けずに気をそらす方向へ進んでいる。

マイナスのdistructionしているかどうか?がカギになります。

試験が近づいていて勉強しなければならない、勉強することで不安や心配は解消するにもかかわらず、あえてそれから逃避して、今の楽しいことを追いかけて、勉強のことを考えないようにする、と言った対処の状態です。

この場合には、明らかに不安や心配は解消されませんので長引きます。取り組めない、行動に移せない理由があればそれを考えます。

自分一人では対処できないと感じていたり、できそうもないと感じていたりすれば、身近な他者に助けを求めればいいのです。

そうして取り組むべきことに勇気をもって取り組むことができれば、不安や心配からは解放されると思います。

ただこれは自分のことに限ることは言うまでもありません。

子どもが勉強しないからと言って子どもの問題を親が解決することはできません。声をかけたり、必要なことがあれば(本人からの希望があれば)手を差し出すぐらいのことしかできません。

親が自分の問題でない子どものことで不安や心配をしてそれを増幅させることは、あまり両者にとって建設的ではないと言えます。

「気にしすぎ」「心配しすぎ」を何とかしたい・2

クヨクヨ考えて「不安・心配」に
かられがちな人

今日は「気にしすぎ」「心配しすぎ」な人への第2回目の投稿です。

役に立たない、要は考えても仕方がない、どうしようもないことを気にしすぎる人への対処法2つ目です。

一つ目は「行動に結びつかないこういう感情はあまり役に立たないんだ」と自覚することでした。

アドラー心理学ではもう一声「続けますか?やめますか?」と相手に自己決定してもらうという段階があります。

「やめたい」なら「やめる」と自分で決めてもらうのです。その際に使える方法があります。

今日は「またいつものように考えても仕方がないことを考え始めたな。」と気が付いたら使える方法です。

それは目の前のことに集中すること、言い換えると「今ここ」に生きること。アドラー心理学でも確か「嫌われる勇気」に出てきますね。

そうすると今のことに集中してやっているとすっかり忘れてしまいます。こういう集中力というのは、マインドフルネスとか最近は言われますけど、「これねえ、やってるとすっかり時間を忘れちゃうのよ。夢中になってしまって。。」ということがある、もしくは経験があるのであれば、だれでもできると思います。

それじゃ寝ているときにこの不安に駆られてしまったらどうするか、おなかに手を当てて呼吸に集中しましょう。

息を吐くたびにおなかが引っ込んだり膨らんだり、口や鼻を通る息を感じることに意識を向けていきます。

これもトレーニングでできるようになってきます。この方法は特に寝つきの悪い方、お勧めです。できるようになると短時間で眠りに落ちていけるようになります。

「気にしすぎ」「心配しすぎ」を何とかしたい・1

クヨクヨ考えて「不安・心配」に
かられがちな人

あれこれ気にしすぎて、心配しすぎて気疲れしちゃう。

そんな方へ気にしすぎない方法、心配しすぎない方法を3回にわたって書いてみたいと思います。

これってノルウェーのどっかの大学で研究されて論文が出てるみたいですが、アドラーの考え方とマッチするなあと感じています。

今日はまず1つ目です。

アドラーを勉強している人の判断軸は「役に立つのか立たないのか?」ですよね。

気にしすぎや心配しすぎは不安という感情を伴って増幅するんですけど、まずその不安は「行動によって解消できるかどうか」を考えて見ましょう。

行動に結びつくことで解消される「不安」「気がかり」「心配」はとても役に立つ感情です。

たとえば天気予報を見ていて「大荒れになるから避難の準備をしよう」と考えてする。これだと大荒れの天気に対して「準備」という行動に結びつくのでとても役に立つ感情になります。

役に立たない「不安」は、行動に結びつかない場合です。これはどうしようもないので、考え続けても増幅するだけだということです。

不安を増幅させても解決に結びつきませんから役に立たない感情ということになります。

「あれ?なんか悪いこと言っちゃったかな。嫌われたかも。。」と不安になったところで、過去には戻れませんから、次にどうするかを考えたほうがよほど建設的だと言えます。

このように「気にしすぎ」「心配」そして「不安」は、役に立つ場合と役に立たない場合があるんだということをわかっておきましょう。あなたの「気にしすぎ」はどちらでしょうか?

 

子どもの困った質問にどう答えるか?

子どもは質問をする天才

昨日のメルマガで兄弟間の劣等感について書きました。

親にそのつもりがなくても、子どもは親をめぐってどうしても自分の方が愛されているということを確認したくなるのです。

「お兄ちゃんと私とどっちが好き?」

こんなビッグクエスチョンは良くお聞きしますが、なんて答えたらいいでしょう?

「どっちも好きだよ。」で納得してくれればいいのですが、そうもいかないかもしれません。

困った質問には「逆質問」という方法があります。

「それじゃ君はお兄ちゃんが好き?」「うん、好きだよ。」「そっか、お兄ちゃんが好きなのは素敵なことだね。」

「いいえ、嫌い。」「「おや?どうして?教えてくれない?」「あのね、~だから。。」

「そっか、~なところは嫌か。。好きなところはある?」

子どもの質問にどう答えるかを考えるより、子どもがどう考えているか聞いてしまいましょう。

人は思い込みの世界に生きているー認知論

あれ?なんか変??

アドラーの認知論を知っていると「本当に人って思い込みの世界に生きているんだな。」と思うことが多々あります。

以前ボランティアの資金稼ぎに漬物屋さんでアルバイトをしていました。

そのころにご近所のご主人が「直子ちゃん野沢菜あげるよ。」と言ってくださったのですが「漬けたのがいい?自分で漬ける?」と聞かれたので「自分で漬けられないので漬けたのが欲しいです。」と言いましたら「え?漬物屋さんに勤めてるのに?」と言われました。

漬物屋さんに勤めてるんだから漬物を漬けられるだろう・・ですね。(笑)

こういう話はたくさんあって、英語の先生だから英語に関することは何でも知っているだろうとか、英語をぺらぺら話せるだろうとか。。

田舎あるあるだと、学校の先生なんだから立派な人だろうとか、お医者さんだから人格優れた人だろうとか。。

大学出てるんだから頭が良くて賢いだろうとか、です。

人は人です。その人が何をしているかとか立場がどうだとかということとその人がどういう人かは全く別の問題です。そうすると、思い込みで~だと思っていることが多いほど理想や期待があるので失望したりも多くなります。

人は人だよ・・・と、親であろうとなんであろうと。。。そう思うようになり相手に思い込みによる期待や理想を抱かなくなってくると失望したりがっかりして相手を嫌いになったりも少なくなるんじゃないかなと、そんな風に思います。

相手不在の一方的なコミュニケーション

相手不在・・
この世の中は自分が中心

コミュニケーションというのは、基本的に自分と相手とのキャッチボールだと思うんですが、相手の話を聞かない、耳をかさない、一方的に自分の主張だけをしてくる、高齢者とお話をしていると特にそういう場面に遭遇します。

いわゆるマシンガントークというものです。ご近所さんはほぼ高齢者ばかりですから、そういうのは日常茶飯事で、はいはいと言ってお話を聞く側に徹します。

身近なお付き合いをしなければならない相手なので自分から関係を悪くすることはありません。

とにかく一方的なのです。昨日も姑のお友達という方からお電話がありましたが、同じ調子で聞きたいことだけ聞いて言いたいことだけ言って一方的に電話が切れました。

日曜日には主人の叔父が来て同様に一方的にしゃべりまくって帰っていきました。私はちょうどオンライン中でしたので出ませんで済みましたが、主人は結局付き合わざるをえなくなり相手をしておりました。

「よく相手できるわね。」と言いましたら「俺だって早く帰ってくれないかなと思っている。」と正直な胸の内を話してくれました。

相手は目の前にいるが目に入っていない状態と言えばいいかしら?それでいて黙って聞いていると「なんで返事をしない?」となることもあります。

返事したくてもできないよね、そんなにグイグイ自分の主張だけされたら。。

そういえば勉強会でも「私の意見を言っても結局自分の思うとおりにするんだから意見を言っても無駄」と感じて黙ってしまう・・なんていうお話も出ました。

相手の意見に耳を傾けず自分の主張を譲らない。最初から「自分が正しい」ありきの人とお話をしたいとは誰も思いません。

関わらなくて済む大人同士であれば「相手にしない」「関わらない」そういう対処もあっていいと思います。また高齢者すべてがそうだというわけでもありません。

きちんと相手を見て言葉のキャッチボールをしながらお話しできる・・・基本的なことができる方もおられます。ただ残念だけれど自分の身近で考えると圧倒的に少数派です。

「聞き方」にしても「話し方」にしてもこういうトレーニングは大事なことだなと感じています。

アドラーの対人関係法はまず「自分が話すことよりも相手の話を聞く」ことが優先なので、こういう方には「話したいことを我慢してもらう」が最初のステップになります。

まあそうしたいかどうか、は本人の選択になります。私は自分と関係のない方でしたら付き合わない、関わらないようにしますけどね。

算数的に解くか?数学的に解くか?

別のアプローチがある
別の視点があるから面白い・・

メルマガで取り上げた算数の計算

二つの考え方を書いておきますね。

問題は6÷2(1+2)でした。

まるでELMの最初のワークをやっているような感じではあります。

「算数的な考え方」

2(1+2)の2と()の間に×が省略されていると考えます。

そうすると6÷2×(1+2)となりますから、割り算と掛け算の混合算の場合には前から順に解くということで6÷2×3で答えは9になります。

「数学的な考え方」

2(1+2)を一つのまとまりと考えます。そうするとこの部分はまとめ計算すると6になります。したがって6÷6ということになり、答えは1になります。文字式の応用になるんですよね。

メルマガでも書きましたけど、この問題の答えをめぐって大論争になったのですが、算数的に解きましょう。文字式を例にして数学的に解きましょうという最初の定義がないので、どちらも正解と言わざるを得ません。

最初の定義・前提が合わないものを論争しても答えは出ない。ただ争いが起きるだけ、ということになるでしょう。

これは子育てや人間関係にも通じますね。「仲良くするとする。。」という前提と「争って勝つ」という前提では、その先は全く違ったものになるのですから。。

 

決めたら行動するーそれが自信につながる

一度決めたらやってみる・・

自信のない方というのは、考えてばかりおられる。考えているんだけれど行動しない。行動しないから変わらない。変わらないからいつまでも自信が持てない。

こういう悪循環に陥っています。

もしかしたら行動してもだめかもしれない。ダメな時に傷つかないように行動しないことにしよう。

そう考えておられるかもしれません。

でも行動したこと自体に意味があるのです。現実を変えようとして一歩踏み出したことに意味がある。自分には行動する能力があるんだと。

一回行動できたんだから次もできるかもしれない。やってみよう。う言うことの繰り返しが自信の積み重ねになります。一度のチャレンジがあなたの人生を変えることもあるんだと思います。

人間関係も一緒です。うまく行かなかったときに傷つかないようにしよう、と考えれば付き合うこと自体を止めてしまいます。

こういう時私たちは精神的にあまり健康でない思考に陥っているとアドラー心理学では考えます。勇気が持てていないのです。

実際のところ、アクションを起こしてみればわかりますが、他者はそんなに悪者ばかりではないし、おおむね好意的で優しいのです。

現実という結果を引き受ける

「やってられん・・。」
グループの中にそう思っている人がいたら・・。

昨日午後買い物に行ったときに以前の職場の同僚に会いました。コロナになる前は一緒にカラオケに行ったりご飯を食べたりしていた人です。

久しぶり~♪と声を掛けたら「直子さん、会社が大変なのよ。」と言います。どうしたのかと思ったら、跡継ぎとして入社した社長夫婦の息子さんが会社を辞めて家を出たとのこと。

いきなりだったそうで、きっと家で散々もめてたんだねと、そんな話をしました。

親と縁を切った・・。子どもに縁を切られた・・。あのご夫婦と付き合うのは本当に大変だとは思いましたが、長男さんもずいぶん思い切ったものだと。「いくら親だからってもうやってられん!!」という気持ちだったんかなと。

基本的に人間関係の争いはどっちもどっちと私は思っていますが、困るのは社員さんたち。会社が存続できなければ、という不安で皆さんいっぱいのようです。

自分たちの行動の結果を自分たちが引き受けるのは仕方がないが、職場・会社というグループに対する責任はどうとるのか・・。

グループに対する責任・・について機会があったら書いてみたいと思います。

ヤングケアラーの定義

上の子どもが下の子どもを慈しみ
喜びをもって関わる関係

ヤングケアラーという言葉が出てくるようになりました。調べてみると子どもが親の介護をしたり下の兄弟の世話をするなどの意味のようです。

子どもが自分のタスクに取り組めない場合(自分がすべきことをすべき年代に取り組めない場合)や「強制」があったり、嫌だけどやらなきゃといった意にそわないがやらされるやらざるを得ない状況などが判断のポイントだと思うのですけど、今の定義だと「協力し支えあう親子関係」とか「家族のグループで自分が役割をもって何かしらの役に立つ」ことを目指すアドラー心理学の考え方に、極端に考える人がNOを言う可能性も出てきます。

大事なのは「喜んで」「自発的に」というキーワードでしょう。問題の実態が私自身把握できないので今は何とも言えないが、言葉が独り歩きするのはよくあること。

考えてみれば私だってヤングケアラーだったわけです。中学校から家事を全部やっていたし、弟の幼稚園の送り迎えや病院へ連れて行くなどずっと高校までやっていました。

それが問題だと言われればそうかもしれないが、それがなくても勉強したかどうか・・自分の課題に取り組んだかどうか・・・はやっぱり自己決定だと思うんですよね。

これからのヤングケアラーという言葉がどうなっていくのか、について事態の推移を見守りたいと思っています。

「事実は一つだが解釈は無限大」ー認知論

楽しくアドラーを学ぼう会・開催

もっとアドラーを学びたい
そんな人たちが増えている

最近の傾向として、一つの講座が終わると「もっともっとアドラーを学びたい」という方たちが増えてきているなと感じています。

これだけ世の中にアドラー本があふれているのに・・です。不思議ですね。

今日はELM3回コースの最終回でした。終わるのが本当に残念で寂しいなという気持ちでした。それはご参加の方たちも同じだったようです。

それで理論を楽しく学べる勉強会をやろうか、という話になりました。

今までの親の会はそのまま子育てで悩んでいる方たちのために残して、アドラー心理学勉強会は「人間関係塾」と名前を変え、アドラーの理論や講座の復習は「楽しく理論を学ぼう会」と変えていこうと思います。

楽しく深く学ぶ仲間との時間。これからも私やご参加の皆さんの人生を濃く豊かにしていってくれると思います。

ああ、本当に楽しかった。。

個人の世界観は雰囲気で現れる・・

その人の世界観が雰囲気として現れるのが「構え」

苦手な人いますよね。。誰だっていると思います。

家族や身近な人間関係や、どうしても付き合わなければならない人たちとは関係を悪くしない配慮は必要でしょうが、自分の人生で関わらなくて済む第三者なら・・付き合わなければ付き合わなくて済むなら「なかよくしなくてもいいや。」もあっていいと思います。

今私自身はどうかというと、ほとんどの場合なんとか対処できることが分かっているので問題はないけれど、いわゆる「構え」が違う人はわかりますので、あまり距離をつめないようにしています。

「構え」は、その人の持っている世界観が反映して雰囲気として発出する。他者に対して「構える人」と言えばわかるかなと思います。

他者に対して構える人はたとえばうちのグループに入ると「浮き」ますから、世界観が変わるには時間がかかるのであまり触らないようにする。来続けているとその構えが自然に取れて浮かなくなる。

アドラー心理学をやっていてもこれが全く変わらない人はたくさんおられます。資格があろうが、長い間やっていようが、たくさん講座を受けていようが、変わらない人は変わりません。

どこがどう?って明確に説明できないところが世界観なので、雰囲気としかいいようがない。

自分の周りの世界や他者をどう見ているか・・。他者は敵ばかりでこの世は危険なので用心しないと・・と思っているのか、他者は友であり仲間でありこの世界はおおむね安全安心だと思っているのか‥の違いです。

アドラー学んで世界観が変わらないってのは、教える側に問題があるんだと思うんです。教える側が「構え」ていれば、構えた教えをアドラー心理学として伝えるんだから、変わらないよなというのが実感です。

だから誰から学ぶか・・ってとても大事だなと思っています。

仲良くなるのに理由はいらない

自己決定通りに進んでいく

「仲良くしたいかしたくないか」は自己決定。。

付き合えないとか付き合いが苦手だというのは、自分が相手に条件を付けているだけ・・なんだよねえ、と感じるこの頃。

あの人はああだから、こうだから・・・だからちょっと付き合えない・・って感じでしょうか。

相手の一部分だけを見てそれが相手の全部だと思ったり、相手の嫌なところに注目したりすると、付き合えないと感じることが増えるんだなあと。

ところが相手にとっても自分のそういうところは見えているはずで、お互い様よねと思う。

「仲良くしたい?したくない?」

講座の時にご相談者に決めていただくのですけど「仲良くしたい」場合には相談になるのですが、「仲良くしたくない」場合には相談になりません。

「仲良くしたいならどうしたらいいのか?」は具体的に話が進みます。

ところが「仲良くする」も人によっていろいろ捉え方があって、うちのわんこのように引っ付くことが仲良しと思っていたりする人もいるし、基本的におひとりさまが好きででもたまには一緒もいいなという人もいて、どういう付き合い方が自分にとって自然で楽であるのか、は違うんですよね。

この辺の加減を自分なりに実現していくのが難しいと感じるところなのかもしれません。

私自身はどうかというと「引っ付かれる」のが大嫌いです。「かまってちゃん」は振りほどきたくなります。ところがどういうわけか「引っ付かれ」たり「かまってちゃん」が来るんだなあ・・・(笑)

親の会追加開催・理由はシンプル
「困っている人がいるんだからできることをやる」

悩んでいる人をひとりにしない

困ってる人がいるんだから・・・やればいい。そんな単純な理由で親の会追加開催することにしました。

最近ようやく体調も良くなってきたところだし、例年通りGW明けから不登校相談が急増しているし、5月の親の会は早々と満席になってしまったし。。

ということで仕事を増やす。(笑)

やれるんだからやればいい・・一人でも二人でも気持ちが楽になることに自分がお役に立てれば何よりだと思います。

来た人は良くこう言う。「こういう相談ができるところってないんです。」

こういう相談って??、「誰にも知られず」「同じ悩みを抱えたものが集って」「なんでも相談できて」「気持ちが軽くなって」「希望が持てて」「明るくなれて」かな???

聞いたことがないのでわからないんですけど、とりあえず参加してよかった・・はあるみたいです。

確かに・・・自分が悩んでいたときもそうだったけど「どこに?」「だれに?」「どうしたら?」はもちろんだけど、相談しても解決の道筋が示されないとかあまり真剣に相手にされなかったり、批判されたり指示されたりするんじゃないかという恐れはありますものね。

ありのまま受け止めてもらうだけでも参加してよかったと思ってもらえるのかもね。

というわけで追加開催はこちらから⇒オンライン講座案内

思わず笑ってしまったこと

相手の不思議も「笑って許せる関係」

先日お弁当をひっくり返してしまった主人の話を昨日メルマガで書いたんですけど、昨日は洗濯物の中にティッシュが入っていて洗濯物がティッシュのくずだらけになってしまいました。

あら?ティッシュ??と思って「洗濯物がティッシュだらけになってる。」と言いましたら、主人が「あ!俺。ズボンのポケットにティッシュ入れてたんだった。。」と。

あら、今日はそれなの?と思ったら思わず吹き出してしまいました。「この人は・・しょうがないわね。」と思ったらなんだかとてもおかしくなったのです。

で朝から洗濯物を一枚一枚干しながら私がくずをパタパタしている横で、散らばったティッシュのくずを掃除機で吸い取る主人。

日曜日の朝から仲良く共同作業。。いいでしょう?(笑)どっちが指示したわけでもなく、自然に共同作業になってる我が家。

夫婦の凹凸ってこんな感じのことです。

「自分のことは自分ではわからない」

「自分のことは自分ではわからないものだ」

最近の自分を見ていて、確かに「世話焼き」だと思うようになりました。

誰かや何かのために・・・せっせとやっていることが多いと感じます。

「世話焼き」と母のケアマネさんに言われてから、最近になってようやく「あ、そうだわ。」と気が付くようになりました。

アドラーをやり始めてからはできるだけ、手をかけないようにしていたつもりですし、以前に比べたら格段に誰かのために・・は減っているけれど、まだまだやってることが多いのかもしれないと。

ただ「~してあげたのに・・・。」という発想がアドラーのおかげでなくなった。

その分余計無意識にやるようになっていたのかもしれませんが、「やりたいからやる」でいいのかも・・・とも思っています。

今日はオンラインのSMILE。コロナでオンラインになってから、ずっと家にいるようになって

昨日気が付いたけど「自分の理想の生活してるなあ・・。」って。家にいるのが基本的に好きだから「仕事も好きなことも」家でできるって最高だと思っています。

目的が違う・アドラー前とアドラー後

「聞いてみる」の目的が違う
アドラー前とアドラー後

昨日の続きですが、アドラー前とアドラー後は、同じ「他者の意見を聞いてみる」でも目的が違うなと思います。

アドラーを学ぶ前は「自分の正しさを証明したくて」とか「自分が間違っているのではないかという不安を払拭したくて」という目的で、人の話を聞いていたように思います。

アドラー後は目的はシンプルで「自分は~と思ったんだけれど、他の人はどうなんだろう?」という他者への関心・興味が目的になったと感じています。

なので自分が正しいかどうかはあまり問題にならないというか、別に違っていたら違っているで仕方がないと思っているのです。

自己受容しているとこうなるかと思うんですけれど、アドラーを学んでいても自己受容していないとなかなか「評価」から抜けきれない。要は「どう思われているか」が気になっている状態。

「あなたは間違っていません。安心してね。」というお墨付きを他者に求めてしまう。評価を求めてしまうんですよね。

自信のなさから他者の評価を求めがちになるんです。これを求めているうちは苦しいだろうなと思います。

自分が間違っているかもしれない・・と思ったら

とりあえず周りに聞いてみる

アドラーやり続けてよかったなあと思うことの一つに、周りとの関係が良くなったので「もしかしたら私の考え・感覚は違ってる?」と思えるようになって、それをとりあえず周りに聞くことができるようになったことがあると思います。

姑を入院先からデイサービスに送っていったとき、デイのスタッフさんがものすごくテンション高く、あまりになれなれしく「きゃ~〇子さ~ん、会いたかったよ~。私のこと覚えてる?」と言っていきなり姑をハグしたので、びっくりしてしまった。

「ゲッ?いつもこんな感じ??馴れ馴れしすぎじゃない?」とか「親しさを勘違いしてる?」とか「それって高齢者をバカにしてる?」とか感じてしまったのです。

それでたまたま話す機会があったアドラー仲間5~6人と、ご近所さん2~3人に聞いてみました。アドラー仲間はおおむね私と同じような印象を持ったようですが、ご近所さんは「そうだっけ。それがあの人たちのお仕事だから。」と言います。

「ああいう感じで接してもらってうれしいのかしら?」も聞いてみました。

アドラー仲間は「馬鹿にされているようでうれしくない。」がほとんどで、ご近所さんは「うれしいんだと思う。家族には普段怒られたりあんまりいい顔されないからね。」と。

何事も・・・聞いてみるもんです。

ついでに「姑が病院でいうことを聞かないので手に負えないから2週間で病院を追い出された。」話をしたら、「うちなんか5日間で追い出された。」とか「うちは1日で手に負えませんから出てください。」って言われたとか。。

びっくり話は我が家だけではなかったな。。と思わず笑ってしまいました。。

「争わない」が大前提

すべては自己決定
争わない・勇気をくじかない

「自分は争わない」という自己決定が最初にあると、他者も変わっていくんだなと思います。

アドラーを学んでいる方でよくあるのは、自分はアドラーを学んで「勇気づけ」を実践しているけど、周りはそうじゃないから。。という「できない」という話。

これでは言い訳になってしまいますよね。

周りは争いたがる、勇気をくじくから、自分も争うし、勇気をくじいてしまう、という感じの話。。

これだとまだ原因論で生きていることになる。他者がどうだからこうだから私はできない。

目的論で生きるということは「他者がどうであろうと、私は争わない、勇気づけする」という目的に向かって生きることになる。

でやり続けているとこちらが争わないし、勇気をくじかないので、相手もそうなっていくんです。自然にそうなっていきます。自分だけが争いたがったり勇気をくじきたがったりすることが空回りして馬鹿馬鹿しくなっていくことが多いんです。

だから最初にこちらの決定ありき、です。それで終始一貫してやる。そうするとね、なんとなくよくなっていくんです。

最近母がとてもこちらの意図を理解してくれるようになって、「~したらどうなの?」という提案をすると最初は抵抗するようなことを言ってもあとで聞くとそうしている。。

私は提案するだけで無理強いはしませんから、あとは本人が決めればいいし、結果を引き受けてもらうだけと思っています。

で、結果を引き受けていろいろひどい体験・結末を引き受ける羽目になってしまった。

そういうことになるかなと思います。。

そのうちに、お姉ちゃんの言うことをやってみたらいろいろうまくいくみたい。。そんな風に感じてくれるようになったのかもしれません。

これは母の自己決定。最近自立へ向かって自分のやれることはやる、ってスタンスも頼もしく感じています。

問題は電話料金。(笑)ついつい話が盛り上がり・・(@@)えらいこった。。

「自分のことを後回しにする」という自分の課題

自分を後回しにして大事になる癖

私にはどうも「自分のことを後回しにする」行動パターンがあります。「自分のことを先延ばしにする」と言い換えてもいいかもしれません。

それで結構大きな事態になったりもしています。特に体のことでは、主人や周りの人にとても心配をかけることになったりもしています。

先月あたりから2年前受けたオペの傷口から粘液が出て糸が見えるようになっていました。2回手術をして退院時には痰取の穴まであけたのですからかなり深く傷になっていましたが、順調に傷跡は消えてきていたのでそのうち治るだろうと思っていました。

が、どんどん悪化しているように感じて気になってきました。

連休明けまで待とうかなと思いましたが、「いやいや、大事になる前に行った方がいいでしょう。」と思い直し、通院先に電話しまして、救急扱いで行ってきました。

看護師さんには「発熱患者さんでかなり混んでるので相当待つことになりますよ。」と言われましたが、それもこれも先延ばしにした自分の蒔いた種だから仕方がないと思って行きました。

幸いちょうど混雑がひと段落したころに行ったらしく、すぐに呼ばれました。

先生は出た糸を切っとくねとおっしゃって、この糸がグズグズの原因だからとパチパチ切ってしまいました。

そして来週担当医の予約もとってくださいました。行ってから帰るまで30分ぐらいだったでしょうか。ラッキーでした。

帰宅したらあらあら・・・すっかり傷口は良くなっていきます。また先延ばしの癖が出てしまって、病院側にも連休中に迷惑だったろうし休みに入る前に行っておけばよかったなあと、反省しきりでした。

課題が分かっているのに・・・とも思いましたけど、以前の私ならもっと悪化してから行っていたと思うので、少しは「自分優先」に行動できたことになるかもしれないと思っています。

違和感ありあり「迷惑だ」というフレーズ

協力とは??

いつのころからかはわかりませんけど、アドラー心理学をやり始めてから「迷惑だ。」と言う言葉に違和感を覚えるようになりました。

迷惑だという言葉の響きに「他者批判」「他者排斥」を感じるようになったのかもしれません。

最近になって「協力ということを学んでいない」「協力と言うことを知らない」からそういう言葉が出てくるのかと気が付きました。

もしも家庭で誰かが問題を起こしたとしても「協力的な家庭」が築けていれば、迷惑ではなく「助け合い」と捉えることでしょう。

職場でも同様に「協力的な人間関係」が築けていれば誰かの失敗に目くじらを立てるのではなく「自分が手伝えることはある?」と聞くに違いありません。

それでは「協力とは??」と考えると、誰かや何かのメリットのために動くことではないと私は思います。

お互いに得意なことを受け持っての役割分担と言えばいいかもしれません。我が家は今そんな風にして暮らしています。

苦手なことは得意な方が受け持つ。無理に苦手をやらなくても得意な方に任せておけばいい。

特に夫婦間の凹凸、ご相談を受けていて意外とうまくできているものだと感じることは多いです。

ところが相手が苦手なことを「~すべき」として自分の理想を押し付けたりすることで争いや問題になるケースが結構あるのです。

全く見知らぬ他人に面倒をかけられた‥と言うならともかく家庭内でとか職場内でとか「迷惑」と言うことが出てきたら「協力的なグループになっているのかどうか」見てみればいいと思います。

相手を友だとか仲間だと思っていればそういう言葉は出てこないでしょう。

相手の得意を活かして家庭内・職場内で活躍してもらった方がいいし、苦手は得意な人がフォローすればいいし、そうして協力していくグループになっていれば、「迷惑」なんて言葉は出てこないと思うのですがね。。

2021・5・3 おしゃべり会開催しました。
「無理」とか「無駄」と考えることが自分を追い詰める

楽しくおしゃべりの意味

日曜日に初めてオンラインでのおしゃべり会をやってみました。ご参加は私を含め4名だったのですが、おしゃべりに夢中になっている間にお二人の方が「今から参加大丈夫ですか?」とメールをくださっていたのでした。気が付かなくてごめんなさい。

とにかく日本人といえば・・・「真面目」なので、ご相談を受けていても「遊び」や「無駄」が本当にありません。

「遊び」や「無駄」は意味がないと感じていませんか?遊びや無駄こそ心の余裕につながるともいえる。それがないのでどうしても「キツキツ」になりがちです。

「無意味なことはしない」とか「無駄な時間は過ごさない」とか、ですね。そして何か問題が起きるとすぐに結果を求めたがる。

そんなに生きいそがなくても・・・と思います。アドラー心理学のタスクでいうとセルフタスクにあたるかなと思います。

自分の息抜きがなんだか「落ち着かない」方は「何かしていないとダメ」と感じておられるのではないでしょうか。

2021・5・1-「事例検討会」って最高におもしろい・・

事例検討会って何やってんの?って話だけれど、人に対するあくなき興味の尽きない人たちが、人の悩みについてああだこうだ、どうしたらいい?なんて話を延々としている場‥と言えばいいかしら、と思います。

一応ある程度アドラーの身についた人でないと、話が通じないので、勇気づけリーさんとかに参加は限定しています。

とにかく自分にしか興味のない人は続きません。他者への関心の高い人しか残っていかない。

みんな自分のことに興味があるわけだし、自分のことで精いっぱいだったりするんだけれど、それはそれとして、アドラーの共同体感覚って他者への関心と貢献が一つのバロメーターなので、共同体感覚が持てていれば自分に関係のないことでも好奇心満々に興味をもって取り組める‥って感じですかね。

4月は早期回想分析をやりました。メンバーのおひとりの分析をみんなでやってみました。

やっぱり「どういうわけか同じことを繰り返している」場合にはすっかり過去の記憶にそれが現れます。アドラー先生は見事だとしか言いようがない。

アドラー心理学をやっている人の中には「できなくてもいい」とおっしゃる方がおられるが「できなくて使えない」のと「できるけど使わない」のでは意味が違いますし、私は結構使えると思ってやってます。

今回は分析の後で「私はこういう使い方をしてますよ。」ということもお話ししました。で、受けた人はどうなるか・・・というと「つきものが落ちた。」とか「すっきりした。」とか「すっかり肩の力がぬけて楽になった。」とか。。

自分の謎が解けると、過去の経験から来た苦しさとか呪縛から解放される。。これからどうします?とお聞きすると、大概「ああ、もうたくさんだからおさらばします。」って感じになるんですよね。

取って食わないから(笑)なんだか苦しい‥と言う方には活用してもらえればうれしいですね。リクエストがあれば分析しますし、これからどうする?って話もできますから。多分こういうことやってるの私だけかなと思います。子どもの頃の家族関係と子どもの頃の記憶をお話していただくだけなので1時間ぐらいあれば割と簡単にわかります。(2021・5・1)

 

事例検討会

早期回想分析

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ごあいさつ

代表・高橋直子
資格、経歴

日本アドラー心理学協会認定・マスタープラクティショナー

日本支援助言士協会認定・コミュニティカウンセラー

日本ブリーフセラピー協会認定・ブリーフコーチ・エキスパート

ヒューマン・ギルド社認定

SMILEリーダー、ELMリーダー&トレーナー

誠実に一生懸命に丁寧に
15年の臨床経験に基づいて「受講生さんを笑顔にする」をモットーにしております。ご相談はお気軽に。

お客さまの声

すべきことが明確になり、重くのしかかっていた悩みから解放されました。
仙台市のNさま

思春期の子どもとの関係に悩んでいてアドラーの本に出会い受講しました。子どもを支配しようとしていた自分に気づかされました。何から取り組んでいったらいいのか明確になり、重くのしかかっていた悩みから解放されました。

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